ご注意:苦痛・流血をともなう本編の過激描写は、小説としてのフィクションです。
決して人体に試さないで下さい。死亡・大怪我・病気に至ります。



Любовь


◆第二話


 僕には二人の兄がいた。
長兄は、父と同等に渡り合って商会の仕事をしており、下の兄は
見習いとして、修行を兼ねた遣いに出されながら、それを手伝っていた。
 父はいずれ長男に家を継がせ、次男には子会社を持たせようと
考えていたようだ。
 結論からいえば、後に起こった世界戦争により、この地方唯一の
主力産業である織物工場と独占契約した僕の家は、軍服や天幕を
はじめとした軍事物資を扱う戦時成金として大きく栄え、都で名刺を
出しても知らない者はいないというほどの大商会にのし上がったが、
その頃はまだ、顔の広い父が方々の友人たちとうまい儲け話を
交換しては、手堅く商売する範疇にとどまっていた。
「ミハイル。お前にはまだ乗馬は早い」
「落馬したらお母さんが悲しむだろう」
 兄たちと年が離れていたせいもあって、僕には、父親が三人
いたようなものだった。甘やかされた末っ子である一方、いつまでも
大人扱いされない悔しさも、これらの兄たちから十分すぎるほどに
味わったように思う。
 二人の兄のうち、下の兄のほうが愛嬌がよく、容姿もよかった。
僕が生まれるまでは家の女たちの寵児であったせいか、下の兄は
何事につけて要領がよく、女に甘えるのがうまくて、実際、女性関係も
派手だった。
 その下の兄が、こっそり家から出て行こうとしているのを見つけた僕は、
何をしているのかと文句をつけた。
「もうすぐ夕食だよ」
 何故か、下の兄は食料品店の包みを抱えていた。
 下の兄は「しっ」と舌打ちすると、僕の質問には答えずに、手にした
包みの中から棒状の飴を取り出すと、口止めのつもりかそれを僕に
投げて寄越し、包みを上着で隠すようにして、素早い泥棒のように
裏口から出て行ってしまった。
 下の兄を注意してみていると、そんな日が度々あった。
 遅くなってから家に帰ってくる下の兄は、「何処に行っていたの?」という
母の質問に、
「いい年をした息子の行動をいちいち監視するなんて、お母さん。
僕にも友人との付き合いがあります。外にお茶を飲みに行くくらいよいでしょう」
 すずしい顔をしてそう答え、いつものように、温め直した食事の並ぶ
食卓の席についてしまうのだった。
「恋人がいるんだろ」
「うちの兄さんたちも同じだよ」
 僕の友達は、僕の疑問にそう答えた。
地主の息子も、織物工場長の息子も、それがどうしたのといわんばかりに
兄の行動に対する僕のささやかな不審をまるで取り合わなかった。
 赤く着色された棒状の飴は、ねじれ飴といって、食料品店や、子供が
小遣いを握ってお菓子を買いに行く雑貨店の店先に吊られて売られて
いるものだった。体が鉛筆のように細長く、安っぽい味と、けばけばしい
色をしている。ねじれ飴の名のとおり、全体が小刻みにねじれており、
包み紙を剥がして口に入れると、ごつごつと固く上顎を不規則に
刺激するので、しまいには舌が痛くなる。
飴の包み紙を、僕は、裏通りのほどこし物の木桶に投げ入れた。


 乞食たちは、相変わらず、虐げられていた。
 乞食。ものもらい。
 言葉をごまかしても仕方ない。僕が子供の頃にはまだ堂々と、
犬や猫の呼称のようにして彼らはそう呼ばれ、まともな人間とは
区別されて、徹底して卑しまれる日陰の存在だった。
 卑しきもののうちには、たとえば、人類最古の商売といわれる売春婦がいる。
その他、流れ者、不具者、遍歴の樂人、大道芸人など、これらは古代から
変わることなく、いかなる町や村にも風物詩のようにして付属しており、
僕の生まれ育った街も、その例外ではなかった。
 定住先をもたぬ賎しい者でも、歌だの踊りだの、何かの芸を見せて
日銭を稼ぐ芸人はまだましだった。
 彼らはその技や歌や劇をたよりに、町から町へ流れてゆくこともできたし、
祝いごとや祭りがある日には、人々から歓迎もされ、町の統治者から
衣や食料などの褒美も下された。彼らの中には、大所帯を構えて
ほろ馬車を持ち、大陸を大移動してのける民もいたし、国の浮沈を
左右するほどの魔術師や占い師も出ることがあった。
 しかしながら、たとえどれほどその特殊芸能で人々を魅了しようとも、彼らは
家や財を持たぬ下層民として蔑まれており、石もて追い払われていた。
 流浪の民は神に見放された者である、というのが当時の考えだった。
 人災であれ、天災であれ、何かあれば彼らのせいということにされ、
人々の鬱憤のはけ口として惨たらしく撲滅されるということも、歴史の中では
多々あった。いわば彼らは、施政者の下で厳しい生活を送る人々の
不満や憎悪のはけ口として、その下方に据えおかれた、絶対悪、必要悪の
叩き台のようなものだった。
 僕の国ではさほどでもなかったけれど、百年前まで大陸中を
吹き荒れていた、あの理不尽な魔女裁判においても、告発により
火刑法廷の拷問台に真っ先に送られたのは、それらの女たちだった。
 農作物の出来高が天候に左右され、富といえば、ごく一部の世襲地主や
新興の経営者が持つものであった世において、人はかえって、自らを宥めるように
厳格な格差を求めた。賎業や罪人に対する軽蔑と差別の厳しさは、そのまま
彼らの自尊心を満たしたし、下へ下へと鬱憤のはけ口の対象は陰湿に
向かい、時としては犯罪の濡れ衣や、暴力の噴出ともなった。
 その最底辺にいるのが、お恵みで生きる、乞食だった。
 人間のかたちをした獣。
 彼らにはこれといってあだ名もなく、男女の区別もなく、たいていは
まとめて「うじ虫」と呼ばれていた。
 生まれつき乞食なのか、それとも事情あって人間らしい生活から
落魄した者も混じっているのか、見た目では分からない。
 それは人のかたちをしているだけの、生物に見えた。
 投げ与えられた野菜の切れ端やじゃがいもの皮を、垢じみた両手で
掴んでがつがつと貪る様は、人というよりは虱だらけの薄汚い犬に近かったし、
言葉を話さないので、人語をどこまで解するのかも不明だ。
 誰もが臭くて汚い乞食が近付くと、大慌てで追い払ったり、道を変えた。
 芸人たちのように、彼らに小銭を与えるということは意味をもたなかった。
乞食は金の遣い方を知らず、従って、彼らにほどこされるものは、食べ物、
それだけなのであり、それすらも畑や屑入れをあさられるよりはましであるというので
じめついた不潔な裏どおりに残飯を入れる木桶が置かれているに過ぎなかった。
 その観点からも、乞食は、畜生と同じであった。
特に残酷な子供たちにとっては、格好の、いたぶり対象だった。
 蛙の肛門に草の茎を突っ込んで息を吹きいれ、蛙の腹がぱんぱんに
膨らんだところで、上から踏み潰す。
 あるいは、捕まえたネズミをさかさまにして川に漬け、散々きいきいと
鳴かせておいてから、沈めてしまう。
 ……今だと、新聞沙汰の大問題になりそうなこれらの虐待行為も、まだ僕が
子供の頃の時代には、父や祖父やそのまた曽祖父たちが先祖代々
そうであったように、平然と少年たちが往来で行っていた定番の遊びだった。
蜘蛛の手足をもいで蟻地獄の穴に入れたり、かまきりに生きたままの
蝶を与えて喰わせたり、田舎じみた野蛮は、僕の生きた少年時代には
欠かせないものだった。
そういった方法で動物や昆虫を虐めていたからこそ陰湿な仲間はずれが
子供たちの間になかったのかもしれないと言い切るのは極論だろうか。
 ともあれその延長に、乞食がいたのだ。

 少年の日々は、一日一日を濃縮して、またたくまに過ぎてゆく。
わずか数年で子供から青年の入り口へと劇的に成長し、肉体や
顔つきが変化するこの時期は、僕の上にも等しく作用した。
 兄たちに追いつきたいという願いを反映するかのように、僕の
背丈は一年で急速に伸び、肩幅も筋肉も発達した。
 僕は、十六歳になっていた。
 落第生ボリスはとっくに放校処分となっており、母の予言どおり、
どうしようもない悪たれになっていた。ボリスの仲間も似たり寄ったりで、
街の高校に進学したのは、家が裕福であったり、親族や、都の篤志家から
学費の後援を運よく得ることがかなった、優等生だけだった。
当時はみなそうだった。
 第二次性徴期にある少年の頭にあるのは、女の子のことしかない。
マロニエの木立の通学路ですれ違う少女たちの中に、僕の心を
引き寄せる子が一人いて、長い髪を馬の尻尾のように頭頂で束ねて
リボンをかけたその子の前を、僕はわざと横切ったり、かと思えば
早足で追い越したりと、ばかばかしいほど一生懸命だった。
 意中の子のことを想い、何やらばら色の想像にひたむきに耽ける。
誰にでも経験があると思う。
 だが、ほんの少し大人に近付いた僕は、そういったあてどない思春期の
空想に耽りながらも、同時にその裏では、大急ぎであることをしゃにむに
忘れようとしていた。
 僕たちはあの日以来、ひとことも、そのことについて触れなかった。
地主の息子も、織物工場長の息子も同様だった。
 まるで固い誓いを交わしたかのように、白々しいほどに、誰の口からも
その話が出ることはなかった。
 もしも口にしたら、親に勘当され、厳重な罰が下るとでもいうかのように、
僕たちは一切を沈黙のうちに閉じ込めていた。
 これは、それだけの深刻な衝撃を僕たちに与えたことを示している。
事実そのとおりで、僕はあの日以来、何度か悪い夢を見てうなされた。
それはあまりにも刺激が強すぎた。
 夢の中、かぼそい少女の足が、見えないペダルを踏むようにして
空中を蹴っている。標本のように少女は観察されている。
少女の脚の付け根に、ぱっくりと薄赤い部分が見える。そこが
掻き分けられたと見るや、ほの暗い入り口に、何かが押し込まれていくのだ。
少女は悲鳴を上げる。もがく手足の動きが水に溺れる者のようだ。
 イリーナ。
 目が覚める。
 僕はびっしょりと汗をかいており、どぎつく心臓を夜中の静寂に持て余す。


 落第を重ねた挙句に学校を追い出されたボリスを、僕はそれからも
時折街で見かけた。
 大人の男顔負けに体格のよかったボリスは、その腕っ節を買われて
鍛冶屋の住み込みになったときいていた。
 猿人のような顔は相変わらずでも、労働で鍛えられた丸太のような腕や
脚をゆするようにして歩く様子には、貫禄までついており、垢じみた、
汗くさいその巨体は、何となく僕に劣等感を抱かせるほどだった。
 学校に居た頃、
「ボリス。黒板に手をつきなさい」
 都から来た厳格なアレクサンドル先生が、宿題を忘れたボリスの尻を
よく乗馬鞭で叩いていたものだったが、そんな際も、びしっびしっという
強い音に身を竦ませている僕たちを尻目に、ボリスは痛みに顔を歪めながらも、
にたあっと不気味に嗤っていたものだった。
 後に、ボリスが同じことをイリーナにするのを僕は見ることになる。
ボリスはイリーナの両手を壁につかせると、鞭の先で散々イリーナの
膣口や肛門をつつき回してから、おもむろにイリーナの尻に鞭を
振り下ろすのだった。
「水車小屋の乞食娘?」
 いかがわしい噂は、男たちの輪の中でひそひそと取り交わされるものだ。
それは少年たちの間でも変らない。
 教師に内緒で学校の倉庫にこもり、煙草を回しのみして話題にすることと
いえば、誰それがどこそこの女中とどこまでしただの、最初の手ほどきは
娼婦がいいらしいだの、虚勢まじりの異性の話に決まってる。
 時折そこに、水車小屋の廃墟に頼りなく独りですみついている、イリーナ
という名の乞食娘の話が出てくることがあった。
「ボリスだけじゃない。多くの男が、そこに通っているらしい」
「なんだ、売春婦か」
「違う。乞食だ。若い女なんだ」
「金は要らないってこと?」
「まあそうだ」
「乞食だが、すごい美人だぞ。淫乱で、誰にでも股を開くらしい」
「食べ物を与えてやれば、こちらの顔を覚えて、格別によくしてくれるそうだ」
 僕は剥製の頭を撫でていた。級友がふしぎそうに僕の顔をのぞき込んだ。
「ミハイルはその乞食のことを知ってたかい?」
「いいや」
 僕はしらん顔をして、涼しい顔でそれを聞き流した。
イリーナにまつわる一切から、故意に距離をおいていた。
無理にもそうしないと、あれ以来忘れたこともない真白いイリーナの肌が
目の前をちらつき、僕の体のどこかが燃え立ち、爛れてしまう。いや、こんな
無関心気取りこそ、意味のないことだ。
 僕ははっきりと憶えているのだ。少年たちが枝を用いて残酷に
ひらいていった、イリーナのやわらかな胸や、隠された陰部の隅々を。
 僕の内心の悲鳴を代弁するように、興味津々な級友たちは
さらにイリーナについて掘り下げていった。
「いくら美人でも乞食じゃな。不潔だし、病気がうつる」
「あの水車小屋の中で、大工や石切り場の男たちに輪姦されているらしいぞ」
 しかしそんな努力も虚しかった。
 ぐらぐらするほどに煮詰まり、きっかけさえあれば発火せんばかりに
なっていた僕の若く苦い欲望は、数日後、意外なところから導かれた。


 その男は、グレゴリといった。
鍛冶場におけるボリスの兄弟子で、黒々とした頭髪を持ち、日焼けした
赤銅色の肌は、なめして鍛えた革のようだった。
 グレゴリは鍛冶場だけでなく、街の一方を囲む山の採掘場でも働いており、
そしてその両方の現場から一目おかれ、怖れられていた。
 底光りする目をしており、何を考えているのかまるで知れず、街にいる間は
安宿に居を定め、当然、所帯もない。
 噂では、もとは漁師だったが、賭け事のもつれから人を半殺しにしてしまい、
やむなく生まれ故郷を離れてこの街に流れ着いたのだということだった。 br> グレゴリと僕を結びつけたのは、運命のいたずらだろうか。
それとも、イリーナを渇望していた僕の劣情が、ついに引き寄せたのだろうか。
ともあれ、その日僕はボリスによって、グレゴリと引き合わされたのだ。
「消毒液を?」
「お前は優等生だから、誰にも怪しまれないさ」
 久しぶりに会ったボリスはにたにたと媚びた顔で、僕を拝み倒した。
学校からの帰りを待ち伏せされた僕は、ボリスの話を鉄道の走る
鉄橋のたもとできいた。
 僕は訝しがった。
 消毒液くらい、自分で買えばいいじゃないか。
「それがそうはいかない。何度も薬局に通ううちに、怪しまれてしまってよ。
『悪いことに使うのか』と薬剤師が言うようになっちまった。
変な噂が立ったり、官憲に目をつけられたらまずいだろ」
「ボリス、それは僕も同じだよ」
 薬局の店主は僕の両親と顔見知りだ。僕が買いに行けば、
家の誰が怪我をしたのか、何に使うのかと、親切にきっと聞かれるだろう。
「だから」
 ずる賢そうにまばたきをして、ボリスは僕の耳に口を寄せた。
ふと僕は、ボリスの背後に、もう一人控えていることに気がついた。
鉄橋の柱の影に立っているその男は、川面を見つめて、身動きもしない。
労働者らしく逞しくもりあがった肩に上着をひっかけて、気味が悪いほどの
凝視でもって、泳ぐ魚を見ていた。
「グレゴリ兄貴だ」
 ボリスは自慢げに彼を紹介した。
「ありがとよ」
 そして数日迷った末に、僕は結局、ボリスの言うとおりにしたのだ。
 どうして。なぜ。
 問いただしても無駄だ。僕自身がそう望んだのだ。
 僕の手から消毒液を入れた小瓶を受け取ったグレゴリは、深緑色をした
小瓶を太陽に透かすようにすると、中身の液体を揺らしてみて頷いた。
僕はごくりと唾をのんだ。
「悪いのかい。その、イリーナの怪我は」
 消毒液が欲しい。
 水車小屋にすんでいるイリーナに必要なものだ。
 ボリスはそう言って、学校の保健室から消毒液を盗んでくるようにと
僕をそそのかしたのだ。
 それは僕に、イリーナに会いに行くためのかっこうの口実を作った。
イリーナは怪我をしているのだ。だから僕は、薬を届けに行くだけだ。
そして僕は確かめなければならない。イリーナが本当に淫乱な売女
なのかどうか、そしてもしそうであるのなら、それですっかり諦めもつく。
乞食の娘のことでいつまでも思い煩うなんて、ばからしいことだ。
 だが僕の問いに対して、グレゴリとボリスはにたにたと笑うだけだった。
 水車小屋は以前と変わりなく、半壊の石の廃墟だった。
夜露をしのぐばかりの屋根と、申し訳程度の木の戸に、多少の修理が
入って家らしくなっていた。人の気配や内部の物音を川のせせらぎが
かき消すのか、近づいてもしんとしていた。
本当にこの小さな小屋に、あのイリーナがまだすんでいるのだろうか。
「イリーナの怪我か」
「イリーナの怪我ねえ」
 グレゴリは、水車小屋の戸の横に落ちていた石を、泥だらけの
靴先で反対側に向けた。
 石の尖った先が向かって左を向いている時、それは、イリーナに
客があるという印なのだった。
 小屋の周囲の草は踏みしめられており、訪問者の数の多さを
暗に示していた。先着があるなしの石の合図のとりきめも、そんな中で
自然と決まったことなのだろう。
「自分の目で、」
 グレゴリは訪問を知らせるノックもなしに、鋲のとまった分厚い戸を
蹴破るようにして押し開いた。鍵はなかった。
「確かめな。おぼっちゃん」


 中は、暗かった。
片流れの屋根の大窓から差し込む光に目が慣れてくると、ようやく
水車小屋の内部が見て取れた。
 床に一面に敷き詰められた藁は、まだ新しく、踏み込むと
乾いた音を立てたが、湿っているところもあった。
 がらんとした一間に他にあるものといえば、がたつく小卓と椅子。
縁が欠けた茶碗と、水車小屋が機能していた時の名残のうす。
驢馬を繋いでいた木枷や鎖輪が片隅に積み上げられて、その近くに
古毛布が落ちていた。
 暖炉も何もない家とも呼べぬこの狭所が、イリーナのすまいだった。
そんなことは後から気がついたことだ。
 イリーナは僕たちの侵入に立ち上がっていた。
記憶にあるよりもずっと美しく、ほっそりと小柄で、誰かが与えたものか
色あせた毛織の古着を一枚まとったその姿は、青灰色のうすぼけた光の
真下にあっては、生身のものとも思えなかった。
繊細な顔立ちに、赤い唇。白金の長い髪をゆるやかにたらして、
月の精霊のようにイリーナの全身は、ぼんやりと輝いて見えた。
「イリーナ、腹が減ったろ」
 ボリスのだみ声で、僕はわれに返った。
級友の声がよみがえった。
『乞食だが、すごい美人だぞ。淫乱で、誰にでも股を開くらしい』
 大股に踏み込んだグレゴリが、イリーナから容赦なくぼろ着を剥ぎ取った。
夢にまで見た乳房がこぼれた。衣が落ちるにつれて、細い腰や
女の脚がむきだしになった。
 すっかり古着を剥いでしまうと、まばゆいばかりの女のからだが
薄闇にあらわれた。イリーナの華奢なからだは美術館のニンフの
彫刻のように均整がとれ、雪花石膏の肌は、青ざめて見えるほどに
なめらかにひ弱だった。
 イリーナがよろめいた。
 ボリスとグレゴリがイリーナの肩をつかみ、藁の上にうずくまらせた。
慣れているのか、イリーナは逆らわず、おとなしくそうされた。
あっという間のことで、僕は突っ立っているだけだった。
白くしなやかなイリーナの背中と丸い尻が、雪のかたまりのように
僕の目の下にあった。これから何をされるのか知っているように
藁に埋もれた素足の指先まで、怯えてふるえていた。
「もっと前かがみにさせろ。女の穴を見たことがないミハイルに、よく見せてやれ」
「まずは、餌さを与えてやらないとな」
 僕がぼうっとなっている間に、ボリスたちは着々とイリーナに取り掛かっていった。
 ボリスが鞄から取り出したものは、僕も知っている、ねじれ飴だった。
全体がねじれた棒状で、甘たるい味がする駄菓子が、どうしてこの場に
必要なのだろう。
 何をするのかと立ち尽くしている僕の前で、ボリスは飴の先端を
包み紙ごと舐めはじめた。僕に見せ付けるように、黄色い歯の間から
舌を出して、ボリスは飴の包みを舐めまわした。
 包み紙が湿るほどに唾液がつくと、ボリスは尻を上げさせたイリーナの
肛門に、けばけばしい色をしたねじれ飴の先端を後ろからゆっくりと挿し込んだ。
「こいつは、これが好物なのさ」
 排泄する穴に、逆側から固形物が入れられたことに仰天している僕に、
グレゴリが顎をしゃくった。
 さらに飴が深く埋まった。埋め込まれるにつれて、空気を吹き込まれた
蛙のように、イリーナが喘ぎはじめた。
「なあ、イリーナ」
「ケツの穴で棒をおしゃぶりするのが、お前は大好きだよな」
 下卑びた笑い声が水車小屋に満ちた。
 イリーナを餌付けする。
これは、グレゴリたちが好んだ遊びのひとつだった。
彼らは食料をちらつかせては、イリーナに淫芸を強いるのだった。
したがって、水車小屋を訪れる男たちはいつもイリーナを飢えさせておき、
ぎりぎりの量しか食べ物を与えていなかった。貧困層の男の中には、
与えるふりをして与えずに帰るひどい者もいた。
 ボリスがねじれ飴をさらにイリーナの奥に押し込み、棒状のそれを
引っ張って、しごくように出し入れをはじめた。
ごつごつとした固い舌ざわりで上顎や咥内を刺激するあのねじれ飴が、
美しい娘の尻の穴を満たしている異様な光景に、僕の喉は干上がった。
ああして鍛えてやっているのだと、グレゴリが僕に囁いた。
「穴という穴が具合よく使えるようにな」
 イリーナの肛門に出たり入ったりする飴は、ごしごしとイリーナを擦り上げ、
ああん、とイリーナを苦しげに泣かせはじめた。
腰をゆすって、イリーナは泣いた。そのたびに異物を含まされた尻が
隠微な動きで上下した。異物挿入を受けているその繊細な顔は
ピストン運動を受けてはあはあと喘ぎ、従順に頬を染めていた。
「ほら、イリーナ、ご褒美だ」
 肛門から飴が抜き取られた。
イリーナは尻の痛みに涙を浮かべた目をして、ぼんやりと僕たちを見上げた。
グレゴリたちはイリーナを引き起こすと、ねじれ飴から汚れた包み紙を外して、
その唇に飴を含ませてやった。
 取り上げられる前に、イリーナはゆっくりと壁際にさがって、飴を舐めはじめた。
そこには乞食らしい浅ましさと、知能のない深刻なかつえがあると同時に、
生まれたままの無垢な子供のような、いじらしさもあった。
 イリーナは繊細な横顔をうつむけて、まるで笛を奏でる女神のように、
静かに飴を食べていた。美貌の女が、子供じみたお菓子を大切に味わっていた。
たとえそれが子供の小遣いの硬貨ひとつで何本も買えるものであり、今しがた
肛虐に使われたものであっても、イリーナにとっては滅多に口に出来ない、
貴重な甘味なのだろうと思われた。
 イリーナを餌付けする。
 それはまことに有効な手法だった。
その日の食べ物にもこと欠く乞食に、餌を与えたり、与えなかったりすることで、
誰でもイリーナに言うことを聞かせることができた。
 乞食は動物と同じ。
 グレゴリはそのことをよく承知だった。
乞食らしく、自尊心も屈辱も知らないイリーナに、優美な小鹿のような天性の
はじらいとつつましやかな気品がそなわっていることも、この男や街の男たちは
おそらく承知だった。
 イリーナは性の道具としてこの小屋に飼われ、わずかばかりの食べ物と
引き換えに、彼らの性奴隷にされていた。それは完全なる飼育だった。
 ボリスが、僕が持ってきた消毒液を脱脂綿に浸して、イリーナの尻を
いじっていた手を拭き取った。同じその綿で、ボリスはイリーナの肛門も拭いた。
 飴を取り上げられたイリーナは、ふたたび、グレゴリの手で室の真ん中に
引き出されてきた。ご褒美のお礼として、これから奉仕させられるのだ。
 最初に、グレゴリが慣れた動きでイリーナの腰を掴んだ。
彼は乞食のイリーナを家畜と同様に扱うことを好み、後ろから犯して
決して抱きあわないのだと、後日知った。
「もう、帰るよ」
 上ずった声で、僕はようやくそう言い、水車小屋の戸口へと後退りした。
藁の中に転がっていた何かの空瓶や、使用済で汚れたままの淫具や
張型を踏みつけたが、気にもしなかった。
一刻も早く、すえた匂いのこもるここから外に出て、清潔な空気を吸いたかった。
イリーナのなき声を、もうこれ以上聞きたくはなかった。
「またな」
 グレゴリは振り返ることなく、僕に挨拶を寄越した。
赤銅色をしたグレゴリの背中と、青ざめてみえるほどに白いイリーナの
肌色の対比が僕の目を焼いた。グレゴリのほうが文明を知らぬ獣であり、
イリーナのほうが未開の野蛮人に捕らわれた、貴婦人のようだった。
四つ足が行う交尾が、人間同士の間で、それもイリーナのような
美しい娘の上に行われる悪夢から、僕は目をそらした。
一物をしごいてイリーナの尻にあてがうと、グレゴリは腰にはずみをつけて
一気に押し進めた。前に回ったボリスが、なぶるようにイリーナの口に
ねじれ飴を入れて舐めさせた。持ち上げられたイリーナの肛門まわりは
傷ついて、血を滲ませていた。
 グレゴリはイリーナの肛門を指で示し、僕に言った。
「この次は、傷薬も持って来てくれ」
 戸が閉まった。
 小屋の中で屠られているイリーナの引き攣った叫び声は、水車小屋から
立ち退く僕の内を高熱で蕩かし、逃げるように野道を走る間も、いつまでも
追いかけていた。


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