ご注意:苦痛・流血をともなう本編の過激描写は、小説としてのフィクションです。
決して人体に試さないで下さい。死亡・大怪我・病気に至ります。


● それは過去の御伽噺。● いずれ言わなければいけない。● 今現在その場所は。● 心の拠り所。
● 「理由は無くなりました」● 顔を隠して過ごす日々。● 「様」は不要。
● 笑顔が好きで、貴方が好きで。● 土地に縛られずに生きる術。● 約束が欲しいと呟いた。
【上下主従10のお題8】配布元:Abandon様

【イリス】
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◆第一話:それは過去の御伽噺

 街路樹の緑を抜けて、アンティトスは、友人カディウスの屋敷を訪れた。
父母の遺産を生前分与されたカディウスが選んだ家は、都はずれの、しかし閑静な一画にあった。
門番もすぐにアンティトスを通した。
列柱の建ち並ぶ庭の奥まで奴隷の担ぐ輿のまま通されたアンティトスは、そこで乗り物を降りた。
 空には、濃い色の青空がひろがっていた。
アンティトスは午後の太陽に目をほそめ、前庭の涼しげな緑の木立に目を向けた。
旧市街にあるとはいえ、いつ見ても瀟洒で、洗練された家だった。
「ようこそおいでなさいました。アンティトス様」
「任期交代で、ようやく僻地から戻れたよ。カディウスが新しい奴隷女を手に入れたと聴いて
さっそく遊びに来たのだ。わが友人カディウスは何処かな」
 屋敷の使用人の案内をことわり、アンティトスは勝手しったる友人の家を闊歩した。
掃き清められたモザイクの床。有蓋廻廊でつながれた中庭の豊かな緑。
友人の身分に比較するならば、それはやや小さめながらも、まるで別荘地を思わせるような
静寂に囲まれた、居心地のよい屋敷だった。

 屋敷の主であるカディウスは、中庭に面した歩廊で医師と言葉を交わしているところであった。
アンティトスは、その医師が、堕胎専門の者であることをちらりと認めた。
「カディウス」
「アンティトス。一昨日、都に戻っていたのだったな」
 歳の頃は同じである。
すでに妻帯しているアンティトスとは違い、カディウスは未だに独身で、幾人か情人を持ちながらも
この家に女主人をつくることはしていなかった。
武人のアンティトスと文官のカディウスは何となく気が合い、少年の頃から友人付き合いが続いている。
もっとも、カディウスを知らぬ者は、カディウスも武人だと信じた。
冷徹で、落ち着いた物腰のカディウスであったが、それは並々ならぬ胆力のなせる業であることを
彼の友人たちはよく知っていた。
 医師は二人の青年貴族に礼をすると、また奥の室に戻って行った。
後片付けの最中らしく、そうしている間にも、湯を満たした桶を担いだ奴隷や、医師の助手が、
忙しなく奥の扉を出たり入ったりしていた。
一礼し、彼らの前を通り過ぎた医師の助手は、手に駕籠を提げていた。
籠の中には、まっ赤に染まった布束と、まだ血がついたままの、鉄の棒が入っていた。
「鉄のいちじくが要りようだったとは、穏やかではないな」
 アンティトスは顔をしかめた。
鉄の棒の先には、ちょうどいちじくのような鉄の塊がついており、それは仕掛けを引くと、内部から
鉄の鉤爪が放射状にとび出す仕様になっている。
「さては、孕んだ女を騙されて買ったのか」
「そうではない」
 任期明けのアンティトスを労わりながらも、カディウスは後ろの室が気になるようであった。
カディウスが止める間もなかった。アンティトスは「どれどれ」と気楽にカディウスの
横をすりぬけて、奥の室へと足を踏み入れた。

 まず最初にアンティトスが嗅ぎ分けたのは、戦地で覚えた、血の匂いであった。
殺風景な、小さな部屋であった。
普段は物置部屋として使われているらしく、壁際には雑多なものが急ぎ取り片付けられて
積み上げられている。後で知ったところによると、ここは出産を許された奴隷女たちが
分娩の際に使う部屋であるとのことだった。
 室の中央には、堕胎用の寝台が設えられていた。
にわか仕立てのもので、ありあわせの寝台がこの部屋に運び込まれ、それにあてられていた。
寝台をのぞけば、狭い室の中は五六人も入ればいっぱいで、寝台を取り囲んだ男たちは
互いにぶつかるようにして、忙しく動いていた。
 室に入ると、まず真正面に、白い、ほっそりとした女の脚が、大きく左右に拡げられて
固定されているのが見えた。
上半身を縛られ女が、脚を大きく開いた姿で、寝台に横たえられていた。
女のほっそりとした二本の脚は、医師の助手の手で膝を抱えるようにして拡げられ、
ちょうど、入って来た男たちにその股を晒すように、持ち上げられたままになっていた。
寝台の端と床には血が零れ落ちており、壁際にある、水を満たした桶の中も、赤く濁っていた。
アンティトスは血に染まっている女の股には興味を示すことはなかった。
医師の助手を押し退けて寝台をまわると、彼は上衣をかけられて目を閉じている、
若い女の顔をのぞきこんだ。
「ほう」
 アンティトスは偽りのない、賛嘆の声を上げた。
たった今、鉄のいちじくで子宮を掻爬され、堕胎措置を受けた若い女は、血に染まった下半身とは
べつもののように、白い、小さなその顔を薬の与えた安らかな眠りの中において、窓から差し込む
光の中に、静かに瞼を閉じていた。
都のみならず属州や任地においても、熱心に飽くことなく女を求めてきたアンティトスであったが、その
彼をしても、胸にすうっとした懼れを覚えるほどに、それはやさしげな、清らかな女であった。
「素晴らしいではないか。まだ若いな。高かっただろう」
 アンティトスは女の顔かたちを賞味しながら、カディウスに訊いた。
窓から差し込む薄い光に包まれた女の姿は、生々しい措置を受けている最中であっても
なおも美しく、まぼろしのようであった。
しかし注意深く見れば、その顔には、苦悶の名残があった。
アンティトスは首を振った。
「孕み女をつかまされたとは間抜な話だ、カディウス」
「そうではない。誰も、イリスも、妊娠していることを知らなかったのだ」
 カディウスは寝台の両端に縛られていた女の手首を解いてやり、清潔な布で
気を失っている女の顔を拭ってやった。
 麻酔薬を呑ませたといっても、完全に感覚がなくなるわけではない。
鉄の棒が女の膣に押し込まれ、その鉤爪が内膜を傷つける間、女は縛られた身をもがき、ひどく苦しんだ。
そして鉄のいちじくが引き抜かれた途端に、がっくりと首を傾けて失神してしまったのだ。
「処女が懐妊し、そして細身の女のばあいは、誰も気がつかないことがございます」
 女の陰部を診察している医師が口を出した。
「月経の停止、乳首の色、襞の色からも、それは知れますが、その限りではございません。
発見がもう少しでも遅ければ、処分も叶わなかったでしょう」
 医師の言葉に、カディウスは頷いた。
寝台には、淡い色をした女の髪が、乱れたままになっていた。
アンティトスは血の気のない女の顔を見つめながら、光に透けるその髪を指先につまんだ。
雪のように白い肌も、やわらかなその髪も、滅多にない上物であった。
「侵略地の女だな」
「奴隷船でこの国に運ばれて来る途中、船倉に閉じ込められて、昼も夜も、男たちが
途切れることがなかったそうだ。常ならば、大切な商品だから傷つけてはならぬと厳重に
監視するはずの奴隷商人までもが、イリスを使った。
捕らえられた時にイリスは病におかされていて、熱が引かず、どうせ航海の間に死ぬか、
長くはもたないだろうと踏まれたのだ。奴隷市場においても、イリスは競りにすらかけられなかった。
わたしがイリスを見つけたのは、奴隷小屋の外だった。死を待つばかりの者たちと
鎖で繋がれ、これは日蔭に倒れていたのだ」
「よく選んだな」
 さすがに呆れてアンティトスはカディウスを振り返った。
ふつう、そこまでいけば、奴隷はもう使いものにはならない。
使い捨ての雑役夫として、どぶさらいや鉱山に送られるか、重労働をあてがわれ、早々に命を落とす。
若い女や少年ならば、特殊嗜好の客を満足させる性具として、あやしげな娼家に引き取られ、これまた
遠からず襤褸切れのようになって、道端に棄てられる。
「よく助けて、選んだな。意外とお前は、目利きだったのだな」
 アンティトスは、もう一度、寝台で眠る若い女の美しさと、友人への賛辞をこめた。
 彼らが見つめている中で、奴隷女は小さく唇をひらき、静かに眠っていた。
その睫が時々ふるえた。
医師の助手が繰り返し、女の膣の中に布のかたまりを押し込んで、血を吸い取っているところであった。
その作業の間、女の脚は、大きく拡げられたままになっていた。
「イリスというのか」
 室内にこもる血まなぐさい匂いも、あられもない姿態も、美しい女の顔を見ているとまるで気にならなかった。
アンティトスは友人の許可もとらず、おもむろに、イリスの上にかけられた上衣をはぎとった。
白い、きれいな胸と、薄紅色の女の乳首があらわれた。
手術の間暴れることのないように、そのからだはしっかりと寝台に縛られて、そのせいで肌と
縄目が擦れたところが赤くなり、腹や、胸の上にも荒縄の痕がくっきりとついていた。
アンティトスとカディウスは短刀を取り出し、女を縛っているその縄を切った。
磨き上げた珠のようにすべらかな女の肌が、男たちの手の下にあった。
両脚を大きくわられ、鉄のいちじくで体内を裂かれた女は、しみ一つない雪花石膏の肌をしていた。
「イリスというのか」
 アンティトスはもう一度言った。
イリスは、森の中で眠る御伽噺の妖精のように、静かに眠っていた。


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◆第二話:いずれ言わなければいけない

 アンティトスが次にカディウスの屋敷を訪れたのは、四ヶ月後のことだった。
都の枢機機関では時折顔を合わせることもあったのだが、ともに忙しく、また歓談する際にも
何かの宴の席か、友人の誰かの家といった具合で、旧市街にあるカディウスの屋敷を
訪問するまでにはいたらなかった。
 いつものように、アンティトスは予告なく、突然やって来た。
奴隷に輿を担がせてカディウスの屋敷を訪れたアンティトスは、迷わず、
「ようやく暇ができたのだ。イリスを貸してくれ」
笑顔で友人に頼んだ。
 家で仕事をするカディウスは、訴訟の書面から目を上げぬまま応えた。いいよ。
それから彼は、ゆっくりと羽根ペンを筆皿に戻し、書斎に押しかけてきたアンティトスに向き合った。
「だが------」
「分ってるさ。ひどいことはしない。鞭で女を打つなんてのは、俺の好みじゃないからな」
 アンティトスは朗らかに請合った。カディウスは何も云わなかった。
女を鞭打つことはない代わりに、アンティトスはその逞しいからだで、女を存分に征服し、
一晩中なかせ、可愛がるに決まってる。
カディウスは、アンティトスがイリスを見た時から、どうせこうなると思っていたので、特に感慨もなく
呼び鈴を鳴らそうとした。
 窓から見える中庭に目を向けていたアンティトスがそれを止めた。彼は身を乗り出した。
「イリスだ」
 中庭の緑の中を、イリスが歩いて来るところであった。
庭の片隅には、小さな温室と菜園がある。イリスはそこへ向かった。
この国の気候に合わせた薄衣を身をつつんだイリスは、光を浴びて、ほとんど花か何かのように見えた。
片手に小さな籠を持ち、膝をついて何かを摘んでいるその様子は、おとなしいその動きとあいまって、
繊細な絵のようにも見えた。
「すっかり元気になったのだな。庭で、何をしているのだろう」
「台所の者に、料理に使う香草を頼まれたのではないか」
 机に向かっているカディウスは書類をまとめ、それを片側に寄せた。
都は、あらゆる奢侈に満ちている。
市場から出来合いのものを買い揃えて調える風習により、貴人の家ほど
滅多に台所を持たないが、カディウスのこの屋敷には、古い家らしく、小さな竈があった。
カディウスは屋敷で使っている奴隷たちがそこで郷土料理を作ることを許可していた。
自分は口にしなくとも、奴隷たちのささやかな喜びを奪うほどカディウスは狭量ではなく、
彼らが乞うままに庭に菜園を作らせもして、その世話も好きにやらせている。
そんな主のことを、奴隷たちは敬慕し、おおむね、この屋敷はうまくいっていた。
イリスが奴隷として買われていったのは、そんな家なのだった。

 カディウスは手続きの終わった書類を束ねた。
「君が任地に行っている間に、数年間わたしに仕えてくれた忠実な夫婦を解放奴隷に
してやったのだが、彼らに土地の一部を売ってやり、貯めた金を持って彼らが
そこへ出立する際に、彼らの幼い娘も一緒にさせて、行かせてしまったのだ。
いないと困るというわけではないが、ちょっとした用事をさせるのに、若い娘はやはりいたほうがいい。
イリスは小さな少女という歳でもないが、糸を紡いだり、花を生けたり、そういったことには使えるようだ。
アンティトス、友人として、互いに奴隷は交換してきたし、その使用も任せてきたが、あの娘は
性奴隷として仕込まれてはいないのだ。体調が快復したといっても、ようやくあそこまでになったのだから、
くれぐれも無理なことは止めてくれ」
「承知だとも。夜中までには輿で送らせて返す」
 木漏れ日の中で香草を摘んでいるイリスのやさしい姿や、その腕の白さを
めでながら、アンティトスは鼻にかかった低い声を出した。
女奴隷を借り受ける際にも、カディウスは自分の屋敷の中では許さず、そういうところが妙に
昔から潔癖な男だった。
「それで、どうだったのだ。イリスは」
「これから、自分で確かめたらどうだ」
 カディウスはアンティトスに素っ気なく応え、次の書類の束を机の上に積み重ねてしまうと、
それからおもむろに窓辺に向かって、「イリス」と呼んだ。
 イリスはすぐに、彼らのところへやって来た。
近くで見ても、かがやくように美しい、そしておとなしやかな娘であった。
「ご用でしょうか。カディウス様」
 カディウスは屋敷の者に、旦那さまとか、若主人さまとか呼ぶことを禁じていた。
少し膝をおって慎ましく応じるその姿も、その声も、イリスはみずみずしく、優美であった。
彼は隣りに立つ武人をイリスに見えるようにした。
「わたしの友人の、護民官のアンティトスだ。この者の求めは、わたしの命と同然と思うように」
「はい。カディウス様。アンティトス様」
「イリス。アンティトスはこれからお前をご所望だそうだ」
 得々とした面持ちのアンティトスと正反対に、イリスの顔はさっと蒼褪めた。
カディウスはイリスのその様子にはまったく構いつけなかった。
おそらくアンティトスは、下街の、いつもの宿を使うことだろう。
「今やっている仕事は他の誰かに渡して、すぐに、彼に従うように」
 主の命に、イリスは黙って、籠を抱いたまま、頭を垂れた。


 ------イリス。イリス。
莫迦だな、酷いことなど、何もしないぞ。
その衣を脱いで、お前をすっかり見せるのだ。
こっちに来い。俺の膝の上に乗るのだ。そうそう、いい子だ。
そう怖がるな。縄で縛ったりなぞしない。
羞しいのか。最初にカディウスの屋敷でお前を見た時には、お前はこのような格好だったのだぞ。
さて、イリス。俺に教えるのだ。
奴隷としてこの国に連れて来られる時に、お前が奴隷船の船倉で男たちに何をされたのか、
すっかり教えるのだ。
俺はそれよりもやさしいぞ。イリス、俺に懐くのだ。
俺の望みどおりに、男を悦ばせるのだ。
お前の主のカディウスが、お前にそれを命じたのだぞ。


 夜分遅く、カディウスは仕事に区切りをつけた。
仕事が深夜に及ぶ日には、執事には先に休んでいいと云ってある。
屋敷の戸締りを視回りに、彼は角燈を手にして書斎を出た。
 何事においてもカディウスは形式ばることを好まず、しかし使用人に甘い顔はせず、彼らに
対しては常に厳然たる態度と、公平を期していた。
たまには已む終えぬ懲罰として鞭を取り出すことはあるにせよ、主人が就寝するまで
使用人や奴隷を起きて立たせておくような非道な真似は、断じてしない主であった。
 戸締りは、すでに済んでおり、カディウスはそれを確認するだけでよかった。
イリスは今夜戻っていないが、それはアンティトスからの遣いで知っている。
書付のなかでアンティトスは約束を違えたことを詫び、しかしながらイリスがひどく疲れているので
今晩はこのまま朝まで宿で休ませてやりたいと弁明していた。
嘘をつける男ではないから、本当のことなのであろう。
アンティトスは粗野でも、悪い男でもないが、喜び勇んでイリスを酷使したのに違いない。
カディウスはイリスに呑ませるようにと、沈痛効果のある薬を持たせて、遣いの者を返した。
 主な門や窓を点検し終えたカディウスは、廻廊の隅の台座に角燈をおいた。
寝静まった屋敷の、この水底のような静寂が、彼は好きだった。
涼しい夜風は、星空から降りるようだった。

「イリス。お前のように若く美しい奴隷のことは、すぐに知れ渡るものだ。
お前は性奴隷ではないし、わたしもそうするつもりはない。しかし、わたしの友人たちが
もしお前を求めた時には、お前はその人たちの言うとおりにしなければならない」

 貴族たちの間では、まれに、奴隷女の貸し借りが行われる。
それは、彼らの嗜みのうちであり、むしろ洗練された遊びとして認められていた。
特定の奴隷女への独占欲を示したり、出し渋る者は、かえって野暮だと軽蔑されて、
青年貴族の間では笑い者となる。
女遊びなど、不自由なく、高貴な女から下賤な層にいたるまで、異国の美女も変り種も
お好みのまま望みのままに、いかようにも叶う身分である。
それ故あくまでもそれは、「よろしければ」といった趣味の範疇にとどまり、いかに公認された
風習とはいえ、気が向いたら、といった程度と頻度で行われることであった。
それを逆手にとって、貴人と知己を持ちたい、または家の権勢を誇示したい者たちは、競って
美しい奴隷を手に入れて気を惹こうと試みる。
ところが、それはそれで、これまた「野暮」とされて、軽蔑の対象となった。
 奴隷女の貸し借りは、他家の家で飼われている犬や猫を借り受けて一晩だけ可愛がるのに
似ていたが、家の内情や機密事項がその者たちの口から知れ渡る可能性もあることから、
もっぱらごく親しい友人間に限られているか、または、それ専用に、喉を潰された性奴隷がそれに
あてられているのが昨今の実情であり、礼儀でもあった。
 カディウスとアンティトスのような気の置けない友人間にあっては、気楽に、これが行われた。
といってもカディウスの家には目立った女はおらず、また家の中ではそれを許さず、そして
アンティトスの家にも、深い事情があって美しい女をおけなかったから、二人とも、女が必要ならば
他に求めたほうが早かった。
むしろ貴族の男たちは、誰かが家の女奴隷を求めた時に、あっさりと貸し渡すことにこそ、その
洗練を問われるのだった。
 奴隷たちは情報の交換が盛んである。
いくらカディウスの家の使用人の口が堅くとも、カディウスが美しい奴隷女を手に入れた報は
それとなく外部に漏れ出して、ゆっくりと、しかし確実に、世間に知れることとなった。

 或る夜、カディウスはイリスを室に呼び出した。
奴隷市場から引き取ってきた若い女はひどく衰弱していたが、医師の見立てによれば
一過性の熱病と手荒に扱われたことによる過労が重なったためであり、栄養を与え、安静にさせれば、
一月も経てば起き上がれるようになるとのことであった。
快復期のイリスの様子については気をつけて見ていたが、その夜、灯りの中に現れた
イリスの美しい姿に、カディウスはあらためて瞠目した。
しかしそれを態度にはあらわさず、彼は新しい者が来た時にいつも与える注意事項を
イリスに冷然と申し渡し、
「言いつけを聞かなかった時に行われる罰として、鞭の痛さをお前に教えておく」
イリスの前で、鞭を壁から取り上げた。
 それを見ると、イリスは顔をこわばらせ、ひどく怯えて立ち尽くした。
「鞭を受けたことがあるのか?」
 イリスは頷いた。
追求すると、イリスは力なくうな垂れて、「奴隷船の中で、商人さまが」、とふるえる小声で云った。
カディウスはイリスの怯えようと、病み上がりのその細いからだつきを眺め下ろしたが、最初のこの
鞭打ちについて、彼は奴隷への躾として例外なく、手加減しないと決めており、そうすることにより
奴隷たちは滅多なことでは愚かな失敗をしなくなり、以後彼を主として怖れ、敬うことを、
経験より熟知していた。
 カディウスはイリスの身体を柱に縛った。
子供なら一回、女なら三回、男なら七回。
「これは奴隷狩りや、奴隷商人の鞭ではない。お前に従順を教え、誰がお前の
主かを教えるためのものだ」
 カディウスはイリスの薄い背に鞭を振り下ろした。
一撃でイリスは壊れもののような悲鳴を放ち、身をそらした。
奴隷への同情は禁物であることを、貴家に生まれたカディウスは知っていた。
最後の鞭を与えた後で、カディウスはすぐにイリスの縛めを解いてやった。
イリスはふらついて倒れ、そしてカディウスに抱きとめられて、椅子に坐らされた。
「イリス、分ったね。もう一度打たれたくなければ、返事をするのだ」
「はい……」
 涙を浮かべて潤んでいる目や、波打っている胸、喘いでいる女の唇を、カディウスは見ないようにした。
イリスが落ち着いた頃を見計らい、もう一度言っておいた。
「イリス。郊外にあるこの家は他家に比べればずっと客人が少なく、ほとんど誰も来ないわけだが、もし
貴人の誰かがお前を求めた時には、お前はそれに従わなければならない。
これだけは止めて欲しいということがあれば、わたしに言うのだ。わたしが、それを彼らに注意しておこう。
何といっても、お前はわたしの奴隷であり、彼らのものではないのだからね。ひどく傷つけられることは
ないだろうが、これだけは耐えられないということがあれば、それを、わたしに言っておくのだ」
 イリスはびっくりしたように、目を見開いた。
たとえば鞭とか拘束とか、お前が男たちから受けたそのようなことだ、とカディウスは語調を
変えぬままに言い添えた。
イリスはたちまちにうろたえて、動揺をみせた。
「たとえばの話をしているのだ」
「カディウス様。申し訳ありません。わたしには、分りません」
「そうか」
 カディウスはそれ以上、無理強いはしなかった。
いずれにせよ、 そのうち必ず、これだけは止めさせて欲しいという願いをもってこの女は自分の前に
膝をつき、慈悲を乞うに決まっているのだ。
 カディウスは従僕を呼び、鞭打たれた女を支えさせて、立ち去らせた。
「お前の寝所に戻るのだ。それと、明日は一日、休むように」

 夜空には、清浄にかがやく、白い月があった。
雪を固めたようなその色を、カディウスは仰いだ。
 今日アンティトスにそうしたように、この先誰が所望しても、あっさりとイリスを渡すつもりだった。
そのほうがかえって、その者の好奇心やイリスへの執着をそれで満足させ、それ以上の
興味を軽減させることができるだろう。
何故ならばイリスは所詮、奴隷であり、軽い戯れならともかくも、過度に執心したり、関心を抱くことこそ、
貴族の間では無粋なことであるからだ。
 昼間、アンティトスに訊かれたことに対する答えを、カディウスは持たなかった。
外部には特に打ち明けてはいないが、カディウスは自分の養っている女奴隷に対しては、もとより
家畜のようなものであると認識して、分別しており、手を出さないことにしているのだった。

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