ご注意:苦痛・流血をともなう本編の過激描写は、小説としてのフィクションです。決して人体に試さないで下さい。死亡・大怪我・病気に至ります。

聖地の寡婦
■第十四夜


 陽のろくに差さぬ監獄で従事している獄吏など、どの男も垢じみて下卑びてる。
奴隷となる以前も、この手の男たちは視界に入れないように避けて通ったものだった。
土蜘蛛かどぶねずみのような醜男たち。女衒か、娼家の下男のほうがまだましだ。
 目を半分閉じるようにしてその中からせめてもの清潔そうな男を一人選ぶと、
ネリッサはあいている牢に男を誘い込んだ。
 浮いた片足をぶらつかせ、終わるのを待った。立ったまま受け入れているので
突き上げられる衝撃は脳天にまで響く。
 壁に背をすりつけて、ネリッサは獄吏の首を抱え込んだ。はやく終わって欲しくて
適当なことを口にした。男はますます張り切った。
 声を立てぬように我慢していたが、堪え切れなくなった。
 男の見ている前でいそいでそこを拭い、ネリッサは衣の裾をおろした。
べたべたと抱きついてくる獄吏を蹴りつけて、ネリッサは男に約束させた。
「エウニケに何か変わったことがあったら、すぐにしらせてちょうだい。
真夜中であろうとすぐによ。わたしがいなければ、ダビドさまに直接に。いいわね」
 監獄の中に息のかかった人間をつくると、ネリッサは籠を拾い上げ、すぐに監獄を
立ち去った。

 ダビドは薬棚に隠してあった薬包を取り出した。
使う当てもなく薬棚の底に入れて持ち歩いてきた薬だった。
皇帝のからだをあずかる医師団たちにひそかに伝授されてきた、いくつかの秘薬。
中でもこの薬は、誰にも触れられないように気を遣い、隠し持ってきた。
使おうと思った夜もあった。
(ようやく気がついたの?)
 アテナの声が耳をうった。
 記憶の中の妻は、いつまでも澄んだ声をした、幼馴染の少女のままだ。
(わたしずっとあなたの名を呼んでいたのに。どうして助けてくれなかったの、ダビド)
 夫の大抜擢と栄達の影で惨たらしく殺された若い女は、恨めしく、ダビドの手の
中にある薬を見つめた。
 (もう間違えてはだめよ、ダビド。生まれ変わっても、またあなたと夫婦になりたいわ)
 新婚家庭の庭にあったオリーブの木陰から、アテナは口を尖らせた。
きらきらと降る緑のひかりを浴びたアテナはいちばん幸せだった頃のようだった。
 でも、生きている間はあなたの好きにしていいわ。わたしたち、きっと何度も生まれ変わって、
相手を変えて、そのたびにその人のことだけを愛するのね。目の前のその人のことだけを大切に。
 落涙するダビドに、アテナは云った。
 夕食はあなたの好きなお魚料理にするわね。そろそろ買い物に行ってくるわ。
 立ち去るアテナは歌をうたい、光の向こうへと戸を開けた。だってダビド、それが、生きると
いうことなのだから。
「ダビドさま、回診のお時間です。輿の用意が出来ました」
 老僕が呼びにきた。
 ダビドは診療所を見廻した。明日の朝出立するばかりに荷造りを終えた屋敷の中は
がらんとして、当座に必要のない荷物を持たせて助手の大半を現地に先に発たせたために
ひとけもなく、空き家も同然に見えた。
 ダビドは薬を手に、吹き抜けの玄関へ出て行った。


 エウニケは、水滴責めにかけられていた。
高いところから落とされた熱湯の一滴が、女の肉芽を緩慢な雨だれのように叩いて刺激する。
すでに何度も強制絶頂させられているにも関わらず、敏感なところへ繰り返される
もどかしいものに、エウニケは白磁のような肢体を板の上でびくりびくりと引き攣らせていた。
 極点への刺激に拘束具の間で反り返る女体の小さな器官を二本の指で剥きあげて押さえ、
棒の先でつついたり、水滴を落としているのは、拘束台の左右に控えている獄吏だった。
 重みをもった水滴がまた落下した。湯の玉は過敏な肉芽を叩いた後でじわりと周囲に
広がり、陰部の溝を伝って性感をくすぐりながら尻の穴の方へと零れていった。
 単純にして、気も狂わんばかりの責め苦に、女囚は悶えた。
拷問室でさばかれているその白い肌は、汗ばむままに、快感と痛みの狭間に漂っており、
見物人たちにその恥ずかしい絶頂と弛緩状態を隠すことも出来なかった。
ぜいぜいとか弱い息をついている女の秘処に、さっそくラウラの手が伸びた。
「調べてやるよ」
 ラウラはぬるんだ膣を侮辱的にかき回しながら、濡れて充血している小さな肉芽を
爪で押したり細かく叩いた。大きく割り開かれている女の内腿が苦しげに突っ張った。
「こいつ、締めつけてるよ。淫乱なだけに嘘はつけないようだねえ」
 ラウラが手を引き抜くと、外にもその証拠として溢れて零れるものがあった。
ラウラは満足げに女体を眺めおろした。また水滴の音が落ちた。
「都に連れて行ってやるぞ、エウニケ」
 板の上の方では長官がエウニケの裸体に目じりを下げていた。
 思いがけず自分の所有物となった美しい奴隷に長官はわれを忘れて狂喜し、
呆けたようになっていたが、エウニケを愛でるその腑抜けた顔の中には改めて
今後の淫虐への期待がむくむくと、赤黒い雲のようにして沸き起こっているのだった。
「お前ほどの美しい奴隷は都にもいない」
 水滴が落ちてはじける音がした。
「お前を性奴隷として連れて歩けば、わしは都中の羨望のまとになるだろう」
 長官はエウニケの張り詰めた美しい乳房をもみしだき、乳首をいじり、おのれの硬くなった
下半身を寄せていった。エウニケの首には、さっそく長官があつらえた新しい革の首輪が
嵌められていた。エウニケが喘ぎ声をあげて首をふった。
「たくさんの貴族がお前を使いたいと、わしの前に金を積み、贈り物をする。
宴を開けばお前の淫芸を観るために、大勢の高官がわしの屋敷に集まってくる。
そうなればわしの栄達は思いのままだ。都人は趣味が高い。彼らにご満足
いただけるように、いろんな芸を仕込んでやらねばな」
「性奴隷用の調教師を雇ったらどう?」
 女奴隷に目がくらんでいる長官を細い目で睨みながら、ラウラは獄吏が
落とす水滴の加減にも目を配った。女囚の膣孔からは、先刻の辱めが糸をひいて
床に伝っていた。
「客が来たら尻ふって熱い孔を差し出すようにしてやるのさ。この女にふさわしい
口上も仕込んでやらないとね。『ようこそおいで下さいました。わたくしは淫乱女で
ございます。どうぞ指を入れてお確かめになって下さい。亭主が亡き後もこれだけは
忘れられず、こうして皆さまにお情けをちょうだいしている聖地の寡婦でございます。
お望みのままに帝国の皆さまの手で懲らしめて下さいませ』。何といっても同情をひいて
哀れっぽく男に媚びることだけは得意な女だからね」
 女囚が切ない叫びを上げた。充血した肉芽を叩く水滴がまた堪らなくなってきたのだ。
それは藁の先でつつかれるような、火で燻られるような、背筋まで這い上がってくる
耐え難いものだった。
 悶絶する女囚に、長官とラウラは顔を見合わせてにたりと笑った。
「よしよし、そうやっていい声を上げて客人に淫芸をみせるのだぞ。本番の時には
乳首の上にも湯滴を落として、絶頂するところを都の高官たちにご覧いただくからな」
 自慰と綱渡りの芸もね、とラウラが嗤った。
「寡婦の潮噴きの芸もあわせてやろうよ。この女を都の男どもにまわしてやるのさ」
 拷問室の重たい扉が開いて、誰かが石段を降りてきた。
女体を苛むことに没頭している彼らは最初、誰が入って来たのか気がつかなかった。
板の上に貼り付けられた女のはだかと、行われていることを、暗がりから男は見て取った。
「その女囚から離れて下さい、長官」
 ぎくりとして振り仰いだ長官はわずらわしそうに威厳を取り作った。
「もうそんな時間だったか」
「監獄を巡回するのは帝国法に定められた医師の義務です」
 ダビドは女の陰核に水滴をあてている獄吏たちを睨み、断固たる口調で命じた。
「診察の邪魔です。全員、出て行って下さい」


 ダビドはエウニケの拘束を解かなかった。
手当てが終わるまでは、その方がやりやすいのだ。
誰が地下に降りてきたのかを知ったエウニケは、今度こそ泣き出した。
「見ないで……お願いです、見ないで下さい。ダビドさま」
 両手を縛られているエウニケは顔も隠せなかった。女の反応を引き出された
陰部にダビドの手が触ると、エウニケはがっくりと首を傾けて目を閉ざした。
 エウニケの全身を清め終わると、ダビドはようやくエウニケの枷を外していった。
女の首にはめられた新しい首輪を見た時にだけ、ダビドは顔をゆがめた。そこには
奴隷の所有者を示す長官の名が刻まれていた。
台からおこし、粗末な囚人服を着せてやると、そこで愛し合う者同士にしかわからぬ
雷に打たれたような衝動が起こり、ダビドとエウニケはどちらともなく互いにはげしく
抱き合い、求め合い、離れ離れになっていた間を埋めても埋めたりないというかのように、
互いの身をしっかりと固く抱擁し、身も心も投げ出して溶け合わせた。
「ダビドさま、ダビドさま」
 エウニケはダビドの熱い胸にすがって泣いた。女はそれしか言えなかった。
ダビドさま、ダビドさま。
 性奴隷となった女は、女の値打ちが高ければ高いほど、短命となるのが通例だった。
主に温情があれば温存されたり解放されて長生きする女もいたが、たいていは貴族たちの
慰みものとなって、すりきれるようにして数年で死ぬ。その寿命は娼婦よりも短いといわれた。
 エウニケはもはやその運命を受け入れており、その日が来るのを切望し、それだけを
よすがとしている従順な態度だった。聖地の人間には自殺が許されていない。
自ら命を絶った者はたたり神となって永遠に砂漠を飢えて彷徨う。
自殺は、迷信のはびこるこの聖地において、何よりも恐ろしい宗教的な末路なのだった。
「エウニケ。転属命令が出て、わたしは都にほど近い植民都市へと帰ることになった」
 かき抱いていた女を放すと、その涙を拭ってやり、ダビドは小さな薬包を取り出した。
「だから監獄にお前を見舞えるのも今日で最後だ。エウニケ、これを」
 ダビドは薬包をひらいた。
中には、二粒の丸薬が入っていた。
 泣き濡れた眸でエウニケはぼんやりとダビドを仰いだ。初夏の雨に打たれた
花のような風情だった。ダビドは微笑みかけた。
「呑みなさい。選べないか。それなら、一つはわたしが先に呑んでみせよう」
 ダビドは二粒のうちの一つを取って、エウニケの見ている前でその薬を呑んでみせた。
「ただの薬だ。ご覧、何でもないだろう」
 薬包を手に、ダビドは待った。
 男の態度に何を察したのか、エウニケは静かに、その細い指先に残された一粒をとった。
薬がダビドの呑んだものと同じものなのか否か、何の薬なのか、信じようと信じまいと、女に
とってそれはもはや意味をなさぬことだった。
 エウニケはそれを唇へと持っていった。引き寄せた男の唇がそれを追った。熱い抱擁と
接吻の中で丸薬はエウニケの舌から喉へと、男の舌におされるようにして喉の奥へと消えていった。
「この、左手に」
 抱擁をといたダビドはエウニケの左手をとった。
「刺青があろうと、なかろうと、わたしはお前を愛しただろう」
 亡くした昔のことを想ってみても、止めようもなく。月光のまぼろし、あの夜から。
「帝国人のわたしにはこのような方法でしか、お前を愛することができないが」
 身を屈めて顔を伏せ、ダビドはエウニケの左手の傷痕に接吻した。わたしの妹。
 やがて絡めあった手と手を離さねばならぬ刻限となった。
「ダビドさま」
「今宵は安心しておやすみ」
 牢獄を出る前に一度だけエウニケを見つめると、ダビドは去っていった。
 ネリッサが監獄からその知らせを受け取ったのは、診療所が大騒ぎになっている
深夜だった。
 エウニケはすぐに気がついた。
 エウニケは、ダビドさまと同じ薬を呑んだのだ。
「ネリッサ、こんな大変な時に何処へ行く」
 引きとめる助手の手を振りほどき、ネリッサは知らせに来た獄吏を追い抜いて真夜中の
夜道を走った。診療所の角に、ちらりと幌つきの馬車が見えた。どうしてそんなところに
停めてあるのだろうと思ったが、ネリッサはすぐにそのことを忘れた。
「ダビド、ダビド」
 屋敷ではエラスムスが狼狽し、巨躯をまるめて盛大に嘆いていた。
「エラスムスさま、軍医を」
「もう呼んである。明日の早朝に植民都市に発つときいて、今夜のうちに別れの挨拶をと
思い立ち、酒を持って離れにダビドを訪ねてみたらこの有様だったのだ。おい大丈夫なのか。
ダビドは死なぬだろうな」
「お静かに」
 聖地に残ったわずかな助手と老僕は、騒ぐエラスムスを部屋から追い出し、ダビドの
介抱にかかった。
「……ダビドさま」
「どうしてこんなことに。必ず、お助けします」
「これはあれではないのか。皇帝が飲む毒」
「しっ。……では解毒を試してみる」
 獄吏の案内で裏口から監獄に入ったネリッサは、松明の灯りの落ちる廊下を突っ走り、
エウニケの独房にとびこんだ。
 ネリッサは長官を押しのけて、藁の上に横たわっているエウニケを抱え起こした。
 女奴隷は氷に漬けられたように冷え切って、そしてその呼吸はいまにも途切れそうに細かった。
「皇帝の毒。きっとそうだ。薬学の本に書いてあった。眠るように死ぬ」
「ネリッサ」
 深夜になってラウラの目をぬすみ、エウニケの牢をおとずれた長官は、囚人の様子が
おかしいことに気がついたものの、事態に理解が追いつかず、うろたえてまだ突っ立っていた。
「この女はどうしたのだ。悪霊にでもつかまったのか」
「ダビドさまと同じ時間に薬を呑んだのならまだ間に合う」
 ネリッサはもどかしく、エウニケの首輪を外し、獄吏の鍵で足枷も外させた。
エウニケは目を閉じて、蒼い顔をしたまま、ぴくりとも動かなかった。
ネリッサは持ってきた籠をひっくり返し、万が一ラウラがエウニケに毒を盛った時のために
携帯していた解毒剤を探し出すと、その蓋を開いた。



 檸檬の木。オリーブの木
 砂漠の男神と大河の女神が結ばれし塔、その心臓に

 ながい夜が明けた。
 エウニケの頬にはわずかながらも生気がもどり、その胸は見た目にも
かすかに上下していた。
 獄吏をふたたび屋敷に遣わし、ダビドも生命を取り留めたと知ったネリッサは
夜明けの光が差し込む牢獄にへたり込み、神に感謝を捧げた。
ダビドとエウニケの双方が危ないと知って、どうしてダビドを残してこちらへ駆け
つけることを選んだのか、ネリッサにも説明できなかった。
 エウニケが死ねばダビドも後を追うだろうとか、二人を共に死なせるなどあっては
ならぬとか、後からそれらしい言い訳は幾つも思いつくも、エウニケを選んだのは
咄嗟の衝動だった。
「あの医者が犯人に決まってる!」
 独房の外ではラウラが金きり声を上げていた。
「これは問題にしてやらないとねえ。監獄長官の所有物である女奴隷と姦通し、
殺そうとしたのだからね。裁判にかけてやろうじゃないか。皇帝医師団の医師といった
ところで主流からははずされて、白眼視されてる医者なんだろ。やっぱり問題のある
人間はやることが違うね。そんな人間は、ぜひとも公衆の面前に引きずり出し、
引きずり落として、正しいお裁きで懲らしめてやらないとねえ」
 悪知恵だけは回る陰険なラウラは、口から泡をとばしてなおも言い募った。
これまでにも、いつもそういった手段を駆使してうまい汁を吸ってきたのだ。
「エウニケは聖地の黄金の隠し処を知る女だよ。その女を殺めようとしたんだ。
ダビドにはたんと責任を負わせてやるよ。あの生意気な男を蹴り落として破滅させてやる。
総督にすぐに逮捕状を出してもらおうじゃないか」
「エウニケ」
 ネリッサは眠るエウニケの手を握り、ゆさぶった。
「エウニケ。あなたのせいで、ダビドさまが危ないの」
 同じ女の手なのに、骨のかたちからして別のもののようだ。エウニケのかたちのよい
繊手を撫でながらネリッサは必死で求めた。
「ダビドさまが裁判にかけられてしまう。ただでさえ才を嫉まれているお方だから
中央からの干渉で医師免許も剥奪されるかもしれない。それを救うには、聖地の財宝の
隠し場所を取引材料にするしかないの。それさえ提出すれば、総督は罪を不問にし、
ダビドさまを放免して下さるわ。エウニケ、知ってることをわたしに教えて」
 眠るエウニケのまつげが微かに震えた。
「ダビドさまを助けて。お願いよ、エウニケ」
 心の底からダビドという男を愛する者のひたむきさで、ネリッサは切々とエウニケに訴えた。
 ダビドさまはあなたのことを愛しているわ。あなたと心中をはかるほどに。
あなたも、そのことを知っているわね。だから薬を呑んだ。あなたを誰にも渡したくない
というダビドさまの気持に応えて。
 同じ男を愛する女として、ネリッサはエウニケが憎いのか、それともダビドのものと諦めて
大切に想うのか、それすらも分からなくなった。
「ダビドさまはあなたのことを愛しているわ。お願いエウニケ、ダビドさまを愛しているのなら
あの方を救って」
 女奴隷の手を握りしめてネリッサは泣いた。
 エウニケの左手がゆっくりと持ち上がった。そしてその指先が、何かのかたちを
空中に書いた。

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