ご注意:苦痛・流血をともなう本編の過激描写は、小説としてのフィクションです。決して人体に試さないで下さい。死亡・大怪我・病気に至ります。

聖地の寡婦
■第二夜


 翌日からは、忙しくなった。
 一晩泊めた黒髪の若い女は名をネリッサといった。そのまま返しても待つのは
悲惨ばかりなので、ダビドは温情をおこし、雑用奴隷として傍においておく
ことにした。
 花よ蝶よと仰がれた貴族の女よりも、中流家庭の女のほうが使い途がある。
ダビドはネリッサの手をみて、家事をしていた娘であることを見てとると、
「軽い仕事から教えてやりなさい」と助手たちに女を任せた。
 ネリッサは典型的な異国風美人だったので、聖地に従えてきたダビドの
助手たちも若い女に仕事を教えるのが嬉しそうであった。
 ネリッサとて、戦の絶えない厳しい半島に生まれた女である。こういう際の
身の処し方は民族のその血が教えるようで、一度覚悟を決めてしまうとあとは
反抗することもなく、命じられたことやるようになった。少なくともダビドの傍にいれば
無体なこともされず、悪さを仕掛けてくる野蛮な兵からも護ってもらえ、奴隷として
粗略に扱われることもないと分かると、それはいっそう積極的なものとなった。
「薬の包み方から教えております。あとは包帯の洗濯と消毒、それに、薬を石鉢で
すり潰し、油と混ぜ合わせることも任せて大丈夫です」
「一度教えればよく理解して、間違えることはありません」
 もともと働き者であったらしく、ネリッサは何事も優先順位を間違えずにてきぱきと
こなすようだった。
 最初は外に天幕を張ったが、そこはすぐにいっぱいになってしまった。
エラスムスの手配で焼け残った邸宅の一つを空にして、ダビドはそこに診療所を
ひらいた。
 何といっても戦の直後である。従軍軍医ではなく、皇帝の主治医団に所属する
ダビドが診るのは官位階級に限られていたが、続々と運び込まれる怪我人たちは
軽症の者からもう助かりようのない土色の顔色をした瀕死の者まで、朝から晩まで
ひきもきらなかった。
「エラスムス。あのように若い医師で大丈夫なのか」
「ご安心を」
 占領地にダビド医師の召喚要請を出したエラスムスは総督に請合った。
「ダビドは若い頃に砂漠の国に留学し、「生命の家」で最先端の医術を
学んだ男です」
「見ろ。頭の骨を開けておるぞ」
「矢傷で出来た血の塊を取り除いているところです。頭蓋切開においては
帝国中を探しても、ダビドほどの達人はおりません」
「薬草にも詳しく、骨まで接ぐそうだ」
「止まらなかった出血が、あの医者のところへ行くとぴたりと止まったぞ」
 ダビドの噂はあっという間に軍中に伝わった。
 それでも助からぬ者は助からない。今日も何人かが死んだ。

 休む閑もなく忙しかったが、ダビドはその合間をぬって輿を出し、市街の様子も
観て回った。
 ダビドは何よりも疫病の発生を怖れた。ひとたび流行れば一つの都市を無人に
するほどに猛威をふるうそれは、衛生の徹底でしか防ぐことは出来ない。
 死骸が投げ込まれた井戸はただちに封鎖して埋めたて、腐乱した家畜や
人の死体は見つけ次第回収して焼却し、汚物を捨てる縦穴を掘らせ、聖地の再建に
おいては、攻略の際に破壊された上下水道の再構築を何よりも最優先とするようにと
総督にも進言した。
 おかげで、ダビドの駐在する都市には疫病が発生しないという迷信まで生まれていた。
帝国軍はもともと厳格な規律をもってその覇権を伸ばし、高い建築技術によって
占領地を制圧してきたが、荒地の聖地においては清潔な水の不足をまず怖れ、
水の確保から始めなければならなかった。
 ダビドは技師たちの会合にも顔を出し、生活水と汚水の区別の徹底を求め、
日差しの影響を受けない地下に貯水池を作ることを求め、熱弁をふるった。
「医者の仕事だけでも大変なのに、ダビド医師は、どうしてあそこまでなさるのだろう」
 部下の疑問に、エラスムスは応えた。
「ダビドの最初の妻は、彼が不在中に、疫病で死んだのだ」
 アテナ。
 ダビドは時々、心の中で亡くした妻に手紙を書いた。
 アテナ、聖地の混乱はひとまず収束に向かい、都は皇帝の名のもとに、帝国の領土
としての再出発がはじまっている。
 妻のアテナが逝ってしまってから、もう八年が経つ。
 ダビドとアテナは幼馴染であり、二人が揺り籠にいる間に両親が決めた
許婚同士であった。
 愛しい女に対して呼びかける「妹」という言葉は、ダビドにとっては子供の頃から
一緒に遊んでいたアテナのことだった。十六歳で結婚し、ダビドが留学先に旅立った
翌年、妻は死んだ。砂漠の国から書いた手紙は、読む者もいないまま、アテナの棺に
納められた。
「わたしの妹」
 この甘い響きの中には、アテナ亡き後、寒々しいまでの哀しみがこもってしまう。
あまりにも幼い頃から一緒にいたために、アテナは彼にとっての母であり姉であり、
友人であり、子であり、家族の全てのような存在だった。
 ダビドはそれから忘我の境地となるまで勉強し、働いた。腕が上がるにつれて
地位も上がり、若年にして皇帝の主治医団の末席にまでのぼりつめたが、そこから
ダビドの関心は都の外へと向かい、自ら地方遠征軍への従軍を志願した。
「外の国々を見て見聞をひろめ、異民族の医術の中にも得るものがないかどうか、
学びたいのです」
 医師学会は討議の末、まだ若いダビドの年齢を考慮してそれを認めた。それには
条件がついた。身分は皇帝医師団の医師のままであること。その代わり、給与に
ついては軍医の給料に准ずること。
給料が下がることは必ずしも貧しくなることを意味しない。医師はたくさんの賄賂を
受け取るのが常だからだ。
 しかしダビドは潔癖を通り越して偏屈ともいえる性格から、賄賂の受けとりを
拒否してしまう。
 仕方なく、昔からダビドに仕えて来た老奴隷たちは助手たちとも協力して、彼らが時々
賄賂を受け取り、それを家計に回すことでダビドを支えた。老奴隷と助手たちはダビドを
深く尊敬していたので、神聖な神に供物を捧げるような気持ち半分、残り半分は一面に
だけ秀でて、あとは無頓着な学者に対する慈愛のような気持ちからそうしていた。
 もう少し注意深い者がいたならば、ダビドは無頓着なのではなく、捨て鉢なのだと
見抜いたかもしれない。
 大きな手術を幾つも重ねて疲れきり、真綿のように気力を使い果たしたからだを
冷たい寝台に横たえる時、熱っぽい頭の中で、ダビドはもっと働くことだけを望んでいた。
 国を離れ、妻を失い、子もいない。
 仕事こそは彼の祖国だった。こちらが誠心誠意を尽くせば決して裏切ることも
離れてゆくこともない、疲労という名の眠りをくれる、甘く、優しい、忘却の国土だった。


 天幕から移った邸宅も都市計画により取り壊されることになった。今度もまた
エラスムスが診療所を用意してくれた。閑静な高級住宅地はすべて占領軍の
高官が占拠していたが、ダビドに割り当てられたのは噴水つきの広い庭のある
けっこうな家であった。本当はそこはエラスムスが入る予定の家であったものを、
エラスムスがダビドに譲ってくれたのだ。
「すまないな、エラスムス」
「何の。俺や部下の命を何度も助けてくれたお前ではないか。こんなもの謝礼にも
届かない」
 それまでこの屋敷に暮らしていた一家は篭城が始まる前に聖都から逃げたようで、
調度品もそのままになっていた。ダビドは華美な置物をすべて取り除かせて殺風景な
ものにしてしまい、動かせぬ重傷者から優先的に寝台を与えた。その為に、いかに
広い邸宅とはいえ、居住区間は庭を挟んだ隅の離れに追いやられてしまった。
 日々が過ぎ、恢復を待つばかりの患者が増えてくると、余暇を使ってダビドは
奴隷たちも診てやった。
「帝国軍人を診る手で、奴隷にも触れるのか」
 総督は不快を隠さなかったが、
「助手たちに経験を積ませ、臨床を重ねるためです」、ダビドは譲らなかった。
「医師学会からも、この権利はわたしに認められております」
 再構築に入った聖都では古きを捨てて塗りつぶし、帝国式の新しいものを
その上に築く事業がはやくも活性化しており、それに応じて石材や木材の
下敷きになるなどした怪我人も絶えず、ダビドは帝国民も奴隷も区別なく、それら
の重傷者を診てやった。
 助手を叱り飛ばしながら、壊疽した腕や足を鉈で切り落とし、止血し、
腐った器官をへらで取り除き、消毒し、縫合する。市場で野菜や魚類の鮮度を
判別して捌く売り子のように、患部と症状を判断し、次々と的確な施術をすませてゆく。
一日が終わる頃には、誰が怪我人か分からぬほど、ダビドは全身血まみれに
なっていた。
 真夜中近くになって、ダビドはようやく仕事を終えた。夜風にそよぐ木々の下、
離れに向かい、いつものように寝台に転がりこんだ。あまりにも疲れている日は
湯に浸かることすら朝に回して、衣を脱ぐのもだるかった。
 部屋の隅にそこで待っていたらしきネリッサの姿があった。構うことなく目を閉じた。
ネリッサはそっと歩み寄ると、用意していた湯でダビドのからだを拭いはじめた。
いつ頃からかそんな習慣がついていた。海綿に浸された熱い湯に包まれる
ようにして、ダビドは女にからだを拭いてもらいながら眠りにおちる。
「おやすみなさいませ。ダビドさま」
 ネリッサは床に膝をついてダビドの指先に接吻すると、あしおとをしのばせて
出て行った。
 天窓に月が見えた。眠るダビドの脳裡に広がる湖にも、月は静かに浮かんでいた。
あの晩にみた女は、ネリッサでもアテナでもなかった。夢の中、ダビドはあの幻の
女に向かって、「妹」と呼びかけていた。

 
 幸運にも若くして解放奴隷となった男の場合、もっとも栄達を望めるのは、軍人と
なることである。
 運と力があれば、地位を得て、帝国市民にはとても望めぬようなひと財産を
築くことも夢ではない。彼らは勲を求めて遠征軍へと志願し、戦場でも競って
目覚しい活躍をした。この聖都にも手柄に飢え、獰猛なまでに目を尖らせた、
そんな男たちが大勢いた。
 そのうちの一人である、解放奴隷の男がその午後、ダビドの診療所を訪れた。
男は百人の兵を抱える隊長であった。名をキュロスと名乗り、筋骨隆々たる
体躯をまるめて、診察室の入り口をくぐってくると、どしりと椅子に腰をおろした。
 ダビドは男の片目に入った木の棘を慎重に取り除いてやった。剣術の練習中に
叩き落した相手の棍棒が目を掠め、その際に破片が突き刺さったのだという。
破片は眼球の裏の方へとずれてしまい、先端の曲がった特殊な鉗子でなければ
抜き取ることが出来なかった。
 施術自体は瞬きをする間に無事に終わった。
 キュロスは豪胆な者らしく、ダビドが鉗子の先を目の中に入れても、唇を結んで
微動だにしなかった。
「眼球の赤みもあさってにはひいているでしょう」
 鳥に棘を抜かれた獅子のように、キュロスはダビドに感謝して礼を述べ、金回りが
よいらしく多額の礼金をおいて帰って行った。
 ダビドはその男の声に聞き覚えがあった。
 到着した日の宿で真下の部屋を占拠し、夜の間奴隷女をいたぶっていた男だった。
 その奴隷女のこともその晩、友人の将エラスムスの口から知れた。
「到着した日、君が道端で拾ってやった女がいただろう。手の甲に刺青のあった」
 今宵は酒を呑もうというので、エラスムスが診療所にダビドを迎えに来た。
患者がまだ残っていたので、ダビドはエラスムスを待たせておいた。
エラスムスは診察名簿をたぐりながら、キュロスの名をそこに見つけると、言い出した。
「その女、このキュロスの奴隷になったぞ。総督は若い処女がお好みだ。寡婦など
辛気臭い、いくら美しくともいらぬと、女を見ることもなくちょうどその場にいた
キュロスに女を与えたそうだ。キュロスめ、運のいい奴だ。滅多にいないような
いい女だそうだからな。お前は見たのだろう、ダビド。どうだった、それほどに
美しい女だったのか。ちらりとしか見なかったが、腰が細すぎるように俺には思えたが」
 ダビドは治療に専念するふりをして、エラスムスに返事をしなかった。
 それではあの月の夜に階下の部屋でキュロスが可愛がっていたのは、やはり
あの時の、あの女であったのか。
 気を失い、瞼を閉じていた女の、やさしげな顔かたちをダビドは思い出した。
襟元からのぞく胸が雪のように白かった。
 エラスムスは酒盃をダビドの盃と合わせ、勢いよく飲み干した。
「師団は別だが、俺はキュロスを見知っている。前の戦場でもいちばん働いた。
あいつならば千人隊長も夢ではない。戦地で得た奴隷女をたくさん抱えてまるで
王さま気取りだが、その寡婦にはかなり執心しているとみえて、寝所に閉じ込め、
酒の酌から風呂の世話、もちろんあっちの方まで、毎日こき使っているそうだ」
 ダビドは黙然と酒を見つめ、何も言わなかった。
 あの粗野なキュロスと、女のことを想像してみるだけ、それは無残で残酷な絵になった。
小さく閉じていた女の唇は、詩や歌を口ずさむことこそ、ふさわしい。

数日後、そのキュロスが診療所に現れた。
「ダビドさま」
 ネリッサが入り口に姿を見せた。
「キュロス隊長さまが、訪ねてこられました」
「ダビド医師」
 大またに入ってきたキュロスは、出し抜けにダビドに言った。
「あんたは奴隷も診てくれるときいて、こうしてやって来たのだ」
 性急な性格なのか、キュロスはその太い腕でダビドを引っ張らんばかりにした。
「俺の女奴隷がいけないことになったのだ。それであんたのことを思い出した。
一緒に来て、診てもらいたい」
「お待ち下さい」
 ダビドはぴしりと断った。キュロスの奴隷とは、あの寡婦のことだろうか。しかし
職業上の厳しさが、ダビドに私情を挟ませなかった。
「ご覧のように、大勢の患者を抱えております。急患以外は順番をまもってもらいます」
「急患だ」
 キュロスは太い眉の上に汗を浮かべていた。
「ここまで走ってきたのだ。死ぬかもしれん。はやく、はやく」
「どうしたのです。状態を教えて下さらないと、往診の仕度もできませんが」
「道々話す。この間の鉗子があったろう。あれの大きいのがあればいい」
 仕方なくダビドは立ち上がった。幸いにして、手当てを急ぐような患者はいない。
手短に助手に指示を与え、ダビドはキュロスの後に続いて外に出た。
 街路はすでに日が暮れて、赤い夕陽が荒野の向こうに落ちてゆくところだった。
 キュロスは説明した。
「娼館を回っている旅の商人から玩具を買ったのだ。使ってみたら、女の中に
入り込んで取れなくなってしまった」
「詳しく。どんな玩具です」
「奴隷女の肛門に入れた。なかなか入らないので無理に押し込んだら、先端が
深く埋もれて、引き出せなくなってしまったのだ」
 聞けば、それはイチジクと呼ばれる淫具の一種で、玩具の中では初級品であっても
慣れぬからだには責め苦ともなる張型だった。
 無言になってしまった医者を気遣うように、キュロスは自分の手で屋敷の扉を
開けることまでした。
 キュロスの屋敷は身分相応の、なかなか立派な家であった。
「大量の湯と、橄欖油、それに漏斗を用意して下さい」
 ダビドは袖をまくりあげた。
「あなたの奴隷はどこです」
 寝所にその女はいるという。
「おい。医者を連れて来てやったぞ」
 ずかずかとキュロスは先に寝所に入っていった。
「さあ、尻を出せ。診てもらうのだ。何を嫌がっている。明日まで待つのか。
俺を待たせるつもりか」
 女を乱暴に揺さぶる音がした。
「床に四つん這いになって尻を出せ。はやくしろ、鞭で打たれたいのか」
 鞭で床を叩く音がした。見かねてダビドは寝所に入っていった。そこに、あの女がいた。
 女は髪を乱して床に倒れていた。その両手には枷が嵌められて、壁の留め具と
繋がれており、寝所からは出て行けぬようにされていた。
 キュロスが女を引き起こしてうつ伏せに倒し、その衣を裾からめくりあげた。
目がさめるように白い女の脚と臀部がむき出しになった。
 苦しそうに女が息をついた。
「ここだ」
 キュロスの太い指が、女の肛門に押し当てられた。
 責具を無理に押し込み、さらに、無理にそれを引き抜こうとしてかなり長い間
いじくっていたのだろう、陰門の周囲は赤く腫れ上がり、肛門のすぼまりはすでに
裂けて、血が滲んでいた。
「指を入れて掴もうにも、取れないのだ」
 患部をつつかれた女が声を上げた。悲鳴まで、男の脳をどろりと溶かすようなあえかな
ものだった。おゆるし下さいませ、と女は鎖を鳴らして、いつかの晩のように弱々しく
すすり泣いた。月光の夢の女は、男たちに陰部を見られ、恥ずかしい体位で泣いていた。
「もうおゆるし下さいませ。キュロスさま。もうこれ以上はいやです……」
「糞詰まりと同じではないか。これから楽にしてやろうというのだ」
 キュロスは女の頭を敷布に押さえつけ、細腰を掴んで尻を引きおこした。下僕が湯と
植物油を持って来た。
「ダビド医師。エウニケの肛門から商人が売りつけたものを抜いてやってくれ」
「女に酒を与えて下さい」
 この寡婦は名をエウニケというのか。
「肛門が切れています。舌を噛まぬように女に口枷をはめて下さい」
 エウニケの肛門のすぼまりは緊張のためにひくついていた。その足うらは高貴な
身分の出であることを示して、赤子の肌のようにやわらかだった。
 キュロスが強い酒をその唇に流し込み、女の鼻をつまんで嚥下させた。
「あ、いや……」
  下僕がエウニケの両足首を床に固定した。指の先まで美しい女の手の、その
左手の甲には、刺青があった。
「酒がきいてきたようだ」
「暴れないように押さえておいて下さい」
 ダビドは鉗子を手に、女の尻に近づいた。

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