ご注意:苦痛・流血をともなう本編の過激描写は、小説としてのフィクションです。決して人体に試さないで下さい。死亡・大怪我・病気に至ります。

聖地の寡婦
■第四夜


 埃を立てて罪人を満載した馬車が通った。総督の名で処刑が
これから行われるのだ。
『帝国に反抗した奴隷どもの公開処刑を各広場で行う』
 占領方針として、はやい時期に必ず行われる見せしめの刑である。
罪状は何でもよい、かき集めてきた奴隷を公開処刑にすることで、被征服民の
抗意欲を削ぐのがその目的だった。
 見せしめであるから、当然、それは現地の奴隷たちの前で行われる。
 お触れにあったとおり、ダビドは助手の一人をつけて、ネリッサにそれを
見に行かせた。気が重い話だが、そうしなければネリッサのみならず、ネリッサの
主であるこちらまでもが罰せられるのだ。
 現地総督は残忍な人間でもなければ、暗愚でもないが、その代わりそういった
規律の面では典型的な帝国軍人で、やるべきことに対しては手を抜かなかった。
「目を逸らすな。目を逸らした者は、同じ刑罰に処す」
 施行人の声が広場に響き渡った。
 処刑は被征服民の反抗心を挫き、心が萎えるような方法で行われる。
生きたまま腸を出す、車輪に乗せて四肢を砕く、撲殺する、耳を切って逆さ吊りにする。
 暗いどよめきが聖都を包んだ。あまりの惨たらしさに気絶する見物人もいた。兵は
そういった奴隷を見つけると、桶から水をかけて引きずり起して回り、目を逸らす
者の前には槍を突きつけた。
 大声で施行人が告げた。
「次は、女どもの処刑だ」
 こちらは、はりつけ火刑だった。
 広場に次々と棒が立てられ、女たちがそこに縛り付けられた。
あけた窓から聴こえてくるその様子に耳を澄ませていたダビドは下男を呼び寄せ、
広場にいるネリッサと助手を迎えに行かせた。
「緊急に手術が必要になったと言うのだ。周囲の兵に聞こえるように言うのだぞ。
もし咎められても、わたしの名を出せば帰してもらえるだろう」
 あのように惨たらしいものを、ネリッサには見せたくない。見せしめ処刑の
中でも女奴隷の刑罰ほど酷いものはない。
 女たちが熱気と煙で息絶えると、いったんそこで火が消され、処刑人たちが
総出で女たちから衣を剥ぎ取り、死体の辱めを行うのだ。
 以前の征服地でその模様を見て以来、ダビドは二度と女の公開処刑には
立ち会わなくなった。鎖で繋がれて辱めを受ける、そんな女の姿ほど、
哀しいものはない。

 奴隷剣闘士を闘わせるのが最大の娯楽であったように、処刑もこの時代に
おいてはしばしば行われる見世物のうちの一つであった。絞殺刑や断首刑を
見たことがないわけではないのだろうが、戻ってきたネリッサの顔色は青かった。
何といっても今日殺されたのは彼女の同胞であるし、殺された中には顔見知りもおり、
帝国軍は憎むべき侵略者なのだ。
 見物人の悲嘆は、聖職者たちの処刑において、最もたかまった。
高徳の僧たちは帝国への恭順を最後まで拒みぬき、彼らの名を呼ぶ聖地の
人々の目の前で、片端から首を落とされていった。
「ネリッサ。今日はいいから、部屋で休んでいなさい」
 帝国人の顔など見たくはないだろう。そう思ってダビドは言ったが、ネリッサは
首を振り、黙って薬草を鉢で砕く作業に戻った。
「ダビドさま」
 その晩、ネリッサは熱いからだをダビドに巻きつけるようにして、ダビドに懇願した。
「何かあっても、今日のような処刑をされるくらいなら、ダビドさまの手で殺して下さい」
 そんなことにはならないと言ってきかせても、ネリッサは身を震わせた。
「あんな、あんな恐ろしいことはいや……」
 ダビドはネリッサに言い聞かせた。正規の手続きをして、お前はわたしの
奴隷となっている。だから、その心配はないと。
 飼い猫や犬と同じように、奴隷にも情はうつる。その情もいつもは主の立場から
加減して、ネリッサを自分の部屋へ追い返すのであったが、その晩は朝まで
一つ床にいることをゆるした。
 それでもネリッサの身の震えはとまらなかった。
「総督は、聖地の財宝の隠し場所を探しているそうです。その場所は限られた
者しか知らず、そしてその隠し処の鍵をあずかる者は、一人の女なのだそうです。
街中におふれが出ています。その女を隠し立てした者には厳罰が下ると」
 その女が捕まったらどうなるかは火を見るよりも明らかだった。処刑の方法をみても
分かるように、帝国は女に容赦せず、そして聖地には獄吏や奴隷をはじめ
血に飢えた狼ばかりが集まっている。
 ネリッサは夜の闇に手を掲げた。
 自分にもそこに不吉の印がありはせぬかと、不安なようであった。
「近々、聖地で人間狩りがあるそうです。財宝の隠し場所を知る女は、古き時代より
左手の甲に刺青がある、この街の女の中から、占いで選ばれているのだとか」
「刺青」
「そうです。寡婦の印の、刺青のことです」
 ネリッサが眠ってしまうのを見届けてから、ダビドは重い溜息をついた。
 明日の朝いちばんに、キュロスのもとにいるエウニケを訪れなければならない。


「エウニケの刺青を消せだと?」
 ダビドからその理由をきかされたキュロスは考え込んだ。
「エウニケはあなたの奴隷だ。判断はお任せします。しかし一度連行されたら
もう二度とエウニケはあなたのもとへは戻ってはきませんよ。総督は片っ端から
この街の寡婦を狩り集め、監獄に収監しています。監獄で女たちがどのような
扱いを受けるかは、あなたにも想像がつくでしょう」
「エウニケを連れてこい」
 立ち上がって、キュロスは下僕に命じた。やがて、下僕がエウニケを
彼らの前に連れて来た。
「キュロス様。お呼びでしょうか」
 きちんと髪を結い上げた朝のエウニケは、心が洗われる気がするほどに、清楚で
美しかった。
 キュロスの趣味で、胸もとが深くえぐれ、腿の上の方まで切れ目の入った
娼婦まがいのいかがわしい衣を着せられていたが、それでもその衣はエウニケの
白い肌やほそい腰つき、その顔立ちを引き立てるばかりで、神聖な衣のようにすら見えた。
エウニケの持つ独特の哀しげな雰囲気が、淫らさをまつらわせることを拒んでいるからだと
思われたが、それだけに、布地の少ないその衣はより卑猥に見え、キュロスのような男に
繋がれていることへの惨さも、増すようであった。
「怪我が治ったことを、医師に診てもらえ」
 もちろんキュロスは、エウニケを辱しめるためだけにそれを求めたのだ。
「後ろ向きになって椅子に手をつき、前かがみになって尻を向け、自分で衣をめくってみせろ」
「こ、ここで」
「やるのだ。昨夜のように」
「診察するだけだ」、ダビドも求めた。
 エウニケは羞恥に目じりを染めながらそうした。朝の光にあかるい室に、女の
下半身があらわになった。キュロスは鞭の先で女の肛門をつついた。
「先生のおかげで、このようにすっかり治っている。昨夜は小指を根元まで咥えさせた。
この女はよがり声まで上げて尻を振っていたぞ。これがだんだんと好きになっているのだ。
そうだな、エウニケ」
「すまないが、わたしは忙しい。エウニケ、もう衣を戻していい」
 ダビドは遮った。一瞥したところ、膿んでもいないようだ。エウニケの傷が治って
いることだけが分かればそれでいい。
「財宝」
 キュロスとダビドを前に、エウニケは何を訊かれているのか分からないといった
うろたえた顔をした。
「何のお話でしょう。キュロス様。わたくしには分かりません」
「嘘ではないな」
 キュロスはその手に脅しの鞭を持っていた。
「主に隠し事をするとどうなるか、この前お前に教えてやったはずだな、エウニケ」
「本当に知りません」
 エウニケは両手を胸の前で組み合わせて床に膝をついた。奴隷女として、キュロスに
躾られた仕草だった。うるんだ目で、エウニケは男たちを仰いだ。
「知りません。財宝のことなど、本当に、知りません……」
 キュロスが黙っているので、エウニケの声はふるえた。哀願するように
エウニケはダビドへも重ねて訴えた。
「ダビドさま。財宝のことなど、わたくしは知りません」
「よかろう」
 キュロスはダビドへ向き直った。
「最初からこの女の刺青は気に喰わなかったのだ。そういうことなら、消してもらおう」
「この刺青を」、ぎょっとして、エウニケが怯えた。
「これを、どうなさるとおっしゃるの」
「お前のその左手の甲にある、しみったれた刺青のことだ。俺の奴隷女に
そんな印は不要だ。ダビド医師がこれからそれを消して下さるのだ」
「いやです!」
 悲鳴をあげて、エウニケは左手を後ろに隠し退いた。
「いやです。これは、これだけは残しておいて下さいませ」
「どのみち、お前にはそのうちに焼印なり刺青なり、俺の奴隷である所有印を
つけてやろうと思っていたのだ」
 キュロスは一跨ぎでエウニケに掴みかかると、乱暴に床に引き据えた。
「さあ、いつものように従うのだ。左手を出せ」
「お願いでございます。この刺青は残しておいて下さいませ」
 左手を隠し、床に押し伏せられたエウニケはダビドを仰いだ。涙を浮かべて
女はキュロスの脚にしがみつき、懇願した。寡婦は首を振り続け、必死になって
左手をからだの下に隠して庇った。
「いやです。この刺青だけは残しておいて下さいませ、消すのはいやです」
「こいつめ」
「それだけは。いや……」
 キュロスはしまいに鞭をふるおうとしたので、ダビドが間に入った。床に投げ出された
エウニケが泣き伏した。
「キュロス殿。ここはわたしがエウニケが説得します」
「説得だと。奴隷は主の命令に従っていればよいのだ。こいつに、誰が主人
なのかを教えてやる」
 ふたたび鞭を振り上げたキュロスの腕を、下方からダビドがはっしと掴んだ。
「施術をするのはわたしです」
 医師の腕にこめられた思いがけない力と威厳に、キュロスがひるんだ。本気を出せば
武官には敵わなくとも、ダビドとて、武芸を鍛えている。それでなくとも医術はかなりの
肉体労働なのだ。
 ダビドはキュロスに鞭を返すと、部屋を出て行くようにと静かに求めた。

 キュロスを室から追い出したダビドは、エウニケの傍に片膝をついた。
「エウニケ」
 左手を右手でしっかりと隠して、泣きながらエウニケは首を振った。
「お前は本当に、財宝のことは何も知らないのだな」
「ダビドさま、お願いです」
 感情を乱し錯乱した女など見れたものではないが、泣き続けているエウニケは
それすらも控えめで、ひそやかだった。
「いやです。いやです。これだけは」
「痛くはないのだ。麻酔の痺れ薬を塗って、刺青の部分を削り取るだけだ。
傷跡は少し残るが、ひと月もすれば自然に治癒する。総督は刺青のある女を
見つけしだい監獄に入れているのだ。これはお前をまもるためだ、エウニケ」
 床に倒れ伏したエウニケは手を押さえ、慟哭するばかりだった。
 嫉妬に似たものがダビドの胸を掠め過ぎた。それほどまでに、死んだ男を
愛しているのだろうか。
 しかしダビドは穏やかにエウニケを説いた。
「エウニケ、わたしはお前を、監獄に入れたり、拷問などにかけさせたくはないのだ。
その刺青を消したところで、お前の中から夫の想い出まで、消えてしまうわけではない」
全てのよすががなくなってしまっても、 愛しかった想い出は胸の中に焼きついたまま
終生消えぬものだ。幼馴染にして妻だったアテナにまつわる全てのものを片付け、
遠ざけた今となっても、アテナのことがまだいっこうに忘れられぬように。
 (キュロス、わたしのキュロス。大きくなったら、キュロスはお医者さんになるのね)
 (砂漠の国からも手紙を下さい。愛しいあなた。お帰りになる日を待っています)
 キュロスはおそるおそる、エウニケに手を伸ばした。しかしその手はエウニケに
届く前に握り締められ、女に触れることはなかった。
「お前を殺させたくないのだ。分かるね」
「いいえ、いいえ」
 エウニケの声に不意に力が戻った。わななきながら女は苦しそうに胸をおさえた。
少ない布の陰りの奥に、白い乳房が見えていた。
「そのほうがよいのです。そのほうが……」
 それはこの哀れな女の切実な本音であった。聖都に生を受けた者たちは
自害を固く禁じられており、それは何よりも強い信仰なのであったが、時として
悲惨や苦難に墜ちた女の身には、それは自害よりも惨い、救済の閉ざされた
過酷でしかなかった。
「エウニケ」
 この寡婦をまもってやらねばならない。
 どうしてそうまで思うのか、その理由についてダビドは自覚していたが、それだけに
それについて深く掘り下げて考えることは強いて止めた。この女は、キュロスの奴隷だ。
 -----ダビド。アテナは疫病で死んだのではないのだよ
 アテナの祖母が真実を教えてくれた時の、あの衝撃。老婆の目には孫娘を
失った哀しみと、ダビドを責める無言の批難があった。
「そんなにも亡くなった亭主を愛していたのだな。エウニケ」
 心からダビドは言った。
 助けてやれなかった妻アテナの身代わりでもなく、エウニケをキュロスなどに
渡すことになってしまった後悔でもなく、これはきっと自分のための、贖罪なのだ。
「お前の夫が亡くなってどれほどになるのだ、エウニケ」
 涙をこぼして若い寡婦はそれに応えた。
「もう、五年に」
「五年か」
 聖都とは違い、帝国市民は再婚の自由が認められている。ダビドはそれを言った。
「キュロスはお前のことを気に入っているようだ。今は辛いかもしれないが、従順に
 仕えていれば、解放奴隷にしてもらえる日がそれだけ近くなる。そうなれば、
 キュロスからも自由だ」
 それはないだろうな、とダビドは胸中で呟いた。
 貴族よりも市民よりも、奴隷身分から解放された解放奴隷こそが、もっとも奴隷に
対して酷くあたるものなのだ。
 その解放奴隷であるキュロスは、本来であればその足先に接吻することも叶わぬような
美しい寡婦を性奴隷として好きに扱うことに夢中で、その倒錯した嗜虐の快楽を手に入れた
エウニケの上に対して見出しているのだから。
 ダビドは床にこぼれたエウニケの髪を手にすくった。淡い色の美しい髪は力なく指先から
滑り落ちてしまった。キュロスがこの髪を鷲づかみにしてエウニケを寝所で引きずり回して
いるのかと思うと、怒りと嫉妬で胸が焦げるような気がした。
「キュロスに、あまりお前を惨く扱わぬようにと言ってやろう。だが、あれでも
監獄の獄吏たちよりはまだましなのだ。先日の公開処刑を観ただろう」
「いいえ。けれど、キュロス様よりそのお話はききました……」
「あのような目にお前を遭わせたくないのだ。分かってくれ。頼む」
 ダビドはエウニケの前に頭を下げていた。
 帝国人の高官が奴隷に頼みごとをするのを見て、エウニケは愕いた。
 まだ若い医師の眸には、時が経ても癒えることのない、深い哀しみがあった。そしてそれを
超えた、女へのいたわりがあった。それは医師と患者の関係を超えた、親が子を、
そして夫が妻を慈しむ時にみせる、無償の優しさと、哀しいまでの、包容の願いであった。
 エウニケはしばらく黙ってダビドを見つめていたが、やがて、そっと起き上がった。
「エウニケ」
「ダビドさま」
 指先で涙を拭い、エウニケは、その白い手をダビドに差し出した。
「この刺青だけが、わたくしを亡夫に繋ぎとめておりました。大切な刺青でした。
ですが、こうして穢れた身となってしまった今となっては、この刺青にもはずかしい。
おっしゃるとおりにいたします。消して下さいませ、ダビドさまの手で」
「そうではないのだ、エウニケ。お前が亭主を懐かしむ気持ちは、刺青がなくとも
誰にも消せやしないのだ。お前がキュロスに穢されようと、お前は穢れてはいないのと
同じようにだ」
「いいえ。もう、よいのです」
 エウニケは、かぶりを振った。左手の上に涙が零れた。
 消して下さいませ。
 うなだれたエウニケの声は小さくなって、そのまま消えてしまった。

 キュロスはエウニケの手から寡婦の刺青が消えたことを確認すると、これで
この女はすっかり俺のものになったとばかりに、いたく満足気であった。
「先生、ついでに、エウニケの尻に俺の名を刺青してもらいたのだが」
「それは、刺青師に頼むことだ」
 エウニケの左手に包帯を巻き、薬を出し、医療用具を片付けながら、固い声で
ダビドはキュロスの申し出を撥ね退けた。ついでに、ダビドはエウニケのいる前で
キュロスに申し渡しておいた。
「焼印や刺青を奴隷に用いることは反対です。小さな傷からも人は死ぬのだ。
エウニケが大切ならば、慈悲をかけてやることです。今は痺れ薬が効いているが
今晩から三日の間は傷口が熱をもちます。休ませてやるように」
「大切にしているとも」
 キュロスはエウニケの首輪に指を入れて引っ張った。
「毎晩可愛がってやっているのだ。しばらく風呂が使えぬとは残念だな。
いつもエウニケをはだかにさせて、俺の体を洗わせているのだ」
 奴隷上がりの男の下品さそのままに、キュロスはダビドの見ている前で
エウニケの胸をいやらしくさまぐった。女の衣はどこからでも男の手が入るようになっていた。
男の愚弄に、エウニケは目を閉じて、ふるえる静かな花のように横を向いて立っていた。
ダビドが巻いてやった白い包帯のある左手を、胸の前で右手でおさえながら。


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