ご注意:苦痛・流血をともなう本編の過激描写は、小説としてのフィクションです。決して人体に試さないで下さい。死亡・大怪我・病気に至ります。

聖地の寡婦
■第五夜


 聖地の財宝は隠されて、その隠し場所の鍵は、昔からの神聖な
決まりごとにより、選ばれた一人の寡婦の手にあずけられているという。
 夫を喪った女はもう二度と再婚できないのが掟であるこの都において、
寡婦は寡婦であることを示す刺青を、左手の甲につけていた。

「そんなものは建前で、実際のとここの聖地でも、寡婦は僻地の村と
同様に、街の男たちにとっての共同便器だったようですぜ」
 建材が脚を直撃して骨が折れたその男は、担ぎ込まれたダビドの診療所で
ダビドや入院仲間を相手に、詳しいところを喋りまくった。
「どんな部族でもそれは変わらない。とくに狙い目なのが、実家もなく、親族の
援助もあてにならず、他に身を寄せるところもない天涯孤独な女。これはいける。
何しろ夫がくたばっちまったら明日からの食べるものにも事欠くんだ、
四の五の言わずに上の口にも下の口にもたんと恵んでやるから、出すものを
出しやがれってとこでしょう。そうやって街の男たちのお情けで食べていく女、それが
寡婦です」
「最初から諦めつけさせるために喪が明け次第、輪姦を行う土地だってあるからな」
「そうそう。この聖都だって同じことですよ。何しろこの土地じゃ、新しい夫を持つことは
禁じられていたんだから。女の方だって案外悦んでいたんじゃないですか。
亭主以外の男を知らずに生涯を終える女よりも、あっちの方はずっと満たされて
るんですから、考えようによっちゃあ、幸せってものだ」
 並んだ寝台の男たちが全員耳を傾けていることに調子づき、男の話は
ますます細かいところになった。男は石膏でくるまれて吊るされた脚を
揺すらんばかりにして、部屋中の男たちを見回した。
「エウニケという名の、まだ若い寡婦がいたそうです。身寄りのない女で、これが
凄い美人だったとか」
 病室の端のほうにいた怪我人がさっそく口を出した。
「それで。その美人寡婦も、男たちを通わせていたのか」
 脚が折れた男は首を振った。
「いやいや。危うくそうなるところを、夫が死んだ後、この街の顔役の家に引き
取られていたって話です。つまり、顔役の専属にされていたんでしょう。
それだけの価値はあるいい女だったそうですよ。けれど、こんどの戦でその顔役も
死に、その家も焼け落ちた。それきりエウニケは行方不明だそうですがね。
さあ、死んだのか、逃げたのか」
「詳しいな」
「ほら、あれですよ。財宝の隠し場所は寡婦が知ってるっていうので、総督が寡婦狩りを
してるでしょう。そうやって集めた寡婦を尋問するうちに、他にもこの街にはそんな女が
いるはずだと、エウニケの名があがってきたんだそうです」
「総督は、寡婦たちの口をどうやって割らせているんだ」
「知れたことだ。熟練の獄吏たちの手で、下の口から割らせてるのさ」
「なるほどな。よく喋るように、よく濡らしてやらないとな」
 ひやひやと男たちが笑った。卑猥な噂が飛び交う中、ダビドは聞き流しを装っていた。
 エウニケの刺青を取ってやっておいてよかった。また、キュロスが怠慢だったおかげで、
占領地に設置された臨時の役所に、キュロスが奴隷女の名をまだ登記していなかった
ことも幸いした。
 ダビドはキュロスを唆し、対外的にはエウニケの名を出さず、役所にも実名では
登記せず、適当な女の名を記入しておいて、エウニケのことはひと目につかぬように
家の中で囲っておくほうがよいと助言した。
運がよければ、これでもう、エウニケは見つからないはずだ。
「ダビドさま」
 ネリッサが薬を持って戸口に現れた。ダビドはそちらへ行って薬を受け取り、
ネリッサには「ここはいい。さがっておいで」と追い返した。たったそれだけの一幕で
あったが、病室中の男たちの目は、黒髪のネリッサを食い入るように見つめていた。
「美人だな」
 と誰かが呟いた。しかし、それだけだった。いかな帝国兵であれ、ネリッサが
ダビドのものであるとはっきりしている限りは、尊敬されている医師の女奴隷に
手を出すことはない。これは奴隷制度が確立された帝国ならではの
厳然たる秩序であり、他者の奴隷に危害を加えたものは器物破損罪に問われ、
その所有者が貴族ならば、思わぬ大罪に問われることもある。
 貴族たちは奴隷への情からではなく、その面子をかけておのれの所有物に
対する損害賠償を請求し、時として家人を遣って、その者の上に手ひどい私刑まで
加えることまであった。
「他家の女奴隷にちょっかいかけたばかりにガレー船漕ぎに送られるなんて
まっぴらご免だが、総督の命により牢獄に集められた寡婦たちについては
誰のものでもないからな」
「監獄では、何をやってもいいらしいじゃないか」
「エウニケとやらがもし捕まったら、もぐら共にはもったいない。ぜひその尋問に
参加したいものだ」
 獄吏は、もぐらと呼ばれる、賤業である。
せむしの男、疫病で顔が醜くなった者、戦で片脚を失った者、病気もちの者など、
まともな市民ならば避けて通るような男たちが、それに就く。
 男たちは窓越しに獄舎のある遠い方を眺めた。


 診療所で休んでいる男たちはふざけてあのように言っていたが、実情は
そんな生易しいものではないことを、ダビドは知っていた。
 聖地に駐在している医師たちは、交代で監獄に往診することが義務づけ
られていたが、月に二度ばかり、ダビドも下男を従えて内部に入った。
その中で行われていることは、とうてい公開処刑の比ではない。ダビドの仕事は
必要な手当てをし、彼らを延命させ、苦痛を和らげているようでいて、さらに
獄舎での苦痛を長引かせることなのだ。
 寡婦たちは監獄の大部屋にまとめて収監されており、人間というよりは獣に
近い醜悪な容貌をした獄吏たちの気分のままに責め抜かれていた。
ダビドが見たのは、はだかにされた女たちが両足首を結わえられて
天井から吊るされ、その真下で松の木を燻され、煙責めにされているところだった。
 鼻血を噴き出して気絶しているもの、苦しみのあまりに舌を噛んだもの、獣のような
呻き声を放っているもの、女たちは生きた燻製と化して、むきだしの乳房を下向きに
しながら、煙の渦巻く暗がりの密室に吊るされていた。
 血が凍りつく思いでダビドはすぐにそれを止めさせ、本部に輿を向かわせると、
総督に直訴した。
「あれは効果があるのだぞ」
 最初のうち、総督はダビドの意見を退けた。
「半時間も干しとらん。それに、もう一度吊るして、また煙で燻してやるぞと
脅してやれば、どんなに口のかたい女でも、何でも喋るのだぞ。
肉体も損なわれぬし、文明的な方法だ」
「刺戟の含まれている煙で失明する者、煙で脳がやられて発狂してゆく
者もいます。その中に財宝の在り処を知っている者がいたらどうなさいます」
 総督にくってかかる間、ダビドは医師として過ごしてきた長年の習性で辛うじて
憤怒を堪えたが、その代わり拳を握り締めていた。
 獄吏たちは好き放題に女を犯しており、ダビドが診てやったある女など、
膣からの出血が止まらず、生涯がに股になるかと思われるほどだった。
「監獄は売春宿ではありません」
「そなたは医師だからな。仕事が増えてはかなわぬのだろう」
 見当ちがいの理解を示して、総督は渋々それを禁じる命を出すことを約束した。

 監獄にとって返したダビドは獄吏たちに総督の命令書を突きつけ、いますぐに
女たちを風と光の通る上の獄舎に移すことを厳しく言い渡した。
 女たちを追い立てる獄吏たちの中には、鞭を手にした女看守の姿もあった。
「早く歩くのだ」
 女に向けて、女獄吏の鞭が振り下ろされた。背の高い大柄な女で、女らしい
やさしいところは微塵も見受けられず、頬骨の飛び出た、険のきつい顔をしていた。
 ダビドは驚いて訊いた。
「あれは」
「あれは、もと寡婦です。最初は囚人として連れて来られたのが、この町の
裏情報を提供することにより監獄長官に放免され、いまでは女たちを
監視する方へと取り立てられたのです。名をラウラといって、今じゃ拷問も尋問も
あの女が一番上手いし、牢名主ならぬ、ちょっとした監獄の女王ですよ」
 にやにやと獄吏はダビドに教えた。
 どこの街にも、征服者におもねってうまい汁を吸う女はいるが、ラウラは
その最もたるものであった。
 良心というものが完全に欠如した、この世でもっとも最悪の人種。
その手の女は、権力を握った途端、同性を踏みにじって陰湿にいたぶることに
味をしめ、標的を定めると執拗なまでにじろじろと監視し、些細なことを取り上げては
衆目の前で制裁を加えて、絶頂感の昂ぶりと共に嘲笑うのである。
そしてますます、声高く、態度が大きくなってゆく類の女なのだった。
「尻のでかい、まずまずいい女でしょう。長官はあの女にすっかり骨抜きにされています。
もっとも、巷で噂では、エウニケとやらにはとても及ばないって話ですがね。
それが悔しいのか、ラウラは少しでも自分よりも美しい寡婦が監獄に
送られてくると、憎らしいエウニケの身代わりとばかりに、そりゃもう酷い扱いよう。
掴みかからんばかりに責め抜いてます。逆さ吊りにして松の煙で燻す
拷問、あれもラウラが考えついたことなのです。さかさまになって鼻血やよだれを
垂らして揺れている美人の顔を間近から眺めるのが何よりも楽しいんだそうで」
 ひひっと獄吏は笑った。
「自分だって監獄長官をその手で篭絡したくせに、女たちの膣や肛門に道具を
突っこんじゃあ、寡婦としての貞操を調べてやると言って、下男たちと嬲ってますよ。
なんでも、ラウラが夫を失った時、男たちはラウラを怖れて、誰一人として
夜這いに来なかったんだそうで。それを怨みに思うのか、男好きしそうな、清楚で
品のいい美人寡婦ほど、念入りにいびり抜いていますね」
「この腐った、非常識な娼婦どもめ」
 ラウラの振り上げた鞭が廊下に鳴り響いた。鞭は、一人のほっそりとした
寡婦を直撃した。小さな悲鳴を上げて女が床に倒れた。ラウラはその横腹を
蹴りつけ、その女から衣を剥ぎ取らせた。
 腰のほそい、まだ小娘のような寡婦だった。
 どうやらこの女が、目下のラウラのお気に入りらしかった。ラウラの眼が釣り上がった。
「壁に手をおつき。尻を突き出して屈むのだ。今からお前の不潔なところを
下男たちが洗ってやるから、覚悟しな」
 下男たちが群がってそれをした。
「動くんじゃないよ」
 女はその姿勢のまま、唇をかみ締めて耐えていた。
「膝を崩したら、特別室に入れて仕置きしてやるからね。この女は特に
不潔そうだから、もう一度洗っておやり。たんまりとね」
 美しい女の陰部に醜い男たちが手を伸ばした。

 
 助手たちの立ち話が耳に入り、ネリッサは入室するのを控えた。
ダビドの名が出てきたのだ。薬の入った素焼きの壷を抱えて、ネリッサは
耳を澄ました。
「それからも何度か、ダビド様はその家にお通いだった」
「キュロス隊長の家だ。助手を一人も連れて行かないところがあやしい。
怪我人か病人を診ていることには違いないようなのだがな」
「ところがだ。その家には、たいそう美しい女奴隷がいるそうだ」
「キュロスが血相を変えて一度来ただろう。お気に入りのその女のために
ダビド様を呼びに来たのだ。女をあまり誰にも見せたくない。だから、家の中に
閉じ込めて、医者にしか会わせない」
「あんな粗暴な大男に囲われるとは、不運な女だ」
「お忙しいのにダビドさまも往診を断らぬところをみると、よほど美しい女なのだろう」
「戯言はそのへんにしておけ、お前たち」
「ダビド様はそのようなことで患者を区別する方ではないぞ」
 あしおとをしのばせて、ネリッサはそこを離れた。
 キュロスの家にいる、美しい女奴隷。
 自分には関係のないことと言い聞かせながらも、ネリッサの胸の中は波立った。
 浮かない気持ちのままネリッサは籠を持って遣いに出た。
 占領後、市場はもとの位置にすみやかに再建されており、露店には近隣から
送られてくる野菜や果実がみずみずしい色で積み上がり、牛や生きた鶏、魚まで
買うことができる。ネリッサは丁寧にそれらの品を見て行った。
 ネリッサは今では、かなりの種類の薬草にも精通し、その組み合わせによる
効果もよく学んでいた。今日も、薬瓶をひらいて点検し、足りないものから
補充しようと、助手に財布をもらって出てきたのだ。
 「余った金で、お前の好きなものを買ってもいいぞ」
 助手はネリッサにそう言ってくれた。
ネリッサはありがたく、薬を買った後のお釣りで髪飾りと肌着を買った。
 子供の頃から美しいと言われてきたネリッサであったが、もっと美しい姉たちが
いたので、自分の容姿にはそこまで関心がなかった。男に生まれていれば
良かったのにと、そう思っていたほどだった。
 しかし今は、ダビドの為に装いたいと思う。少しでも、目を留めてもらいたいと思う。
軍人、奴隷問わず、医術の全力を傾けて治療にあたるダビドを見ているうちに
敬意と尊敬の念がわき、助手たちの口からダビドのいたましい過去をきくにおよんで
ネリッサは、不眠不休で仕事の中に没頭しているダビドの孤独にいたく同情を覚えた。
その女の情は、愛となり、そして或る夜、ネリッサは誰にけしかけられるでもなく、
ダビドの寝所に行ったのだ。

 (キュロス隊長の家の、女奴隷……)

 ネリッサは薬草を手にした。助手たちが話していた内容が、頭から離れなかった。
ダビド様は、他家にいる、その女奴隷にお心をかけておられるのだろうか。
 ネリッサは考えまいとした。
 他の家の奴隷にはその主の許可がない限りは、手出しが出来ない決まりだった。
 だがもし、主のキュロスがダビドにそれを許しているのだとしたら?
 美しい女奴隷を揃えて客人を招き、いかがわしい愉しみにふける主たちも
大勢いるではないか。
 ネリッサは無理にもその考えを打ち消した。ダビドさまへの冒涜だ。
あの方はそんな御方ではない。
「ご主人さまや旦那さまとは呼ばずに、ダビドさまとお呼びするのだぞ」
 助手たちはネリッサにそう教えた。
「珍しいことなのだぞ。ダビドさまは若い女奴隷はお側におかない主義で、これまで
一人もお近づけではなかったのだから」
「名家の娘との縁談も降るほどにあったのに、すべて断っておられたほどだ」
「ネリッサ、お前が美人だから気に入られたのだろう」
 そして彼らはネリッサに囁いた。
「うまくいけば、解放奴隷になり、奥方にしてもらえるぞ」
 それらは彼らの冗談であることはネリッサにも分かっている。皇帝の主治医団
に名を連ねているダビドならば、都に落ち着く日が来れば、大邸宅を構え、
しかるべき貴族の女と再婚するのが筋なのだ。
 それまででいい。それまでは、この聖地にいる間は、ダビド様はわたしのもの。
「おい」
 低い声で声を掛けられて、ネリッサはとび上がった。
 眼の前に体格のごつい帝国兵が立っていた。ネリッサはわれ知らず左手の
指環を探った。誰かの所有物であることを示す奴隷の指環は、外に出た奴隷に
とっては何よりの護符代わりだ。
「はい。なにかご用でしょうか」
「お前、ダビド医師のところの、女奴隷だな」
 男は、かぶっていた兜を取った。キュロスであった。
「キュロス様」
「丁度いい。お前、薬のことは分かるな」
「は、はい」
「うちの女奴隷がまた熱を出したのだ。解熱剤が欲しい。それ、その籠の中に
何かあるだろう。ここで売ってくれ」
「解熱剤、でございますか」
 籠のとってを握りしめ、ネリッサは躊躇った。確かに、それ用の薬草を買ったところだ。
 ネリッサは考えた。
「はい。確かに、熱さましになる薬草は持っております」
 われ知らず、ネリッサはそう云っていた。
「しかし、これはまだ調合しなければ、服用できない状態です。キュロス様の
ご邸宅の台所を貸していただけましたら、わたくしがお作りし、キュロス様の
ご寵愛されていらっしゃるその方のご容態をみて、煎じますが」
「それはいい」
 キュロスは他愛もなく、ネリッサの言葉を鵜呑みにした。
「ネリッサといったな」
「はい」
「なかなかの美人ではないか。ダビド医師も、男というわけだ。ふうん、あちこち
壊れては泣いてばかりいるエウニケよりも、お前のほうが丈夫そうだな。どうだ、
夜のほうは。お前の腰や胸を、どうやってあの診療所の男たちは、順番に可愛がるのだ」
 口許に薄笑いを浮かべながら、キュロスはネリッサの全身をいやらしい眼つきで
ねっとりと眺め回した。ネリッサは身が竦む思いであったが、何とか堪えた。
「よし、付いて来い」
「はい」
 キュロスの後に続いて歩き出したネリッサは、籠を抱きかかえた。
 ダビドさまが執心しているというその女奴隷。どんな女なのだろう。

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