ご注意:苦痛・流血をともなう本編の過激描写は、小説としてのフィクションです。決して人体に試さないで下さい。死亡・大怪我・病気に至ります。

聖地の寡婦
■第一夜


 陥落した聖地は、まだそこかしこから、くすぶった細い煙と異臭を立てていた。
 馬から降りたダビドは、城壁の内側で待っていた友人の将エラスムスに迎えられた。
「ダビド。よく来た」 
「エラスムス」
「攻略成功だな。おめでとう」
「かなり手こずったがな」
 馬からおりたダビドの肩を、将エラスムスは力づよく叩いた。
「破城槌を、もっとも難関と思われた西側に集中させることでようやく侵入が
果たせたのだ」
「大勝利だ。皇帝もおよろこびになっておられる」
 従僕が差し出した水桶に手を突っこんで二の腕まで洗い、ダビドは破壊された
まま放置されている石壁や、黒こげになった何かの残骸が一面に散らばっている
城門近辺を見回した。
 古めかしい、堂々たるぶ厚い門であった。そして大地の広がるその外側と、
皇帝軍によって侵略を受けた城壁の内側は、攻略された他の全ての都市が
そうであったように、さながら天国と地獄であった。
 聖地奪取の褒美は略奪と暴行である。昂奮のままに兵士たちがふるった
暴虐非道のあとが城門付近にも生々しい傷跡を残し、そこから見える大通りも
巨人の手で空中に一度持ち上げられて、それから地に叩き落されたかと
思われるほどの無残な様相を晒していた。
 鼻腔に染み付くようなこの焦げ臭い風は、ダビドもよく知るものだった。
視野にこびりつくものは、焼け落ちた家々と、放置されたままの死体。
「ダビド」
「いや。平気だ」
 馬鞍に揺られてきた胃が一気に戻りそうだった。数々の戦場を渡ってきた身で
あってもこの臭いにだけは慣れない。
 冷たい水を一気に呷り、顔を洗い、埃まみれの頭を振る。
馬をとばしたせいで、尻が痛かった。しかし都の中心部はまだまだ先である。
ダビドは再び馬に跨った。

 エラスムスとダビドは並んで馬を歩ませた。荷箱を持った従者があとに続く。
ダビドは五人の助手を連れて来ていたが、総督への挨拶がすむまで、彼らは
城門近くの天幕に待たせておいた。
「ダビド様」
「必要なものはおいておくので、怪我人がいたら診てやりなさい」
 地位のわりにはまだ若いダビドを助手たちは尊敬しており、よく従った。
「ダビド、お前が来てくれて助かった。軍医だけでは手が足りないのだ」
 数日前まで繁栄と壮麗を誇っていた異教徒の聖地は瓦礫の山と化していた。
その光景こそが征服の証とばかりに、軍人のエラスムスは鞍の上で上機嫌であった。
「あるのか?」ダビドは訊いた。
「なにが」
「財宝」
「あるに決まってる。黄金の山がこの都の何処かに隠されているはずだ」
 帝国は聖都に恭順と降伏を求め、聖都はそれを拒んだ。二ヶ月に及ぶ
攻防は聖地を囲む城壁の崩壊をもって終止符が打たれ、阿鼻叫喚が過ぎた
あとには奴隷となった市民が残された。
 エラスムスの顎には、戦いの最中に負ったと思しき刀傷があった。
「どんな小さな都にも、聖地と呼ばれるところには莫大な財宝が隠されているものだ。
皇帝の命を受け、総督は血眼になってそれを探しておられる」
 壮健な男女を満載した馬車が連続して行過ぎた。彼らはこれから帝国の奴隷として
売られるのだ。格子の中で家畜のように押し黙り、あるいは泣きながら、奴隷たちは
武装兵に囲まれて、二度とは戻れぬ聖地を追い出されていった。
「安心しろ、いい女は選り分けて残してある」
 訊いてもいないのにそう言って、エラスムスは顔をにやつかせた。
「ここだけの話だが、総督は財宝よりも、そちらにご熱心だ」
 混血により、この一帯は美女の産地として名高いのだ。
 馬鞍に揺られながら、ダビドは適当に頷いた。この都にしばらく
滞在するのならば洗濯や、ちょっとしたことをやらせる女奴隷はどのみち
必要だった。器用でよく気がつく、出来れば血の流れる診療現場を見ても
目を回さない気丈な奴隷なら、いくらでも欲しい。
 
 いたるところに虐殺の爪あとが残っていた。
生者はみな広場に集められて、年齢や健康状態によって分別され、手枷を
つけられた上で檻つきの馬車に乗せられる。
 親が子を、子が親を、夫が妻を妻が夫を、互いに呼び求め、離されるまいとして
抱き合っているところへ、鎧かぶとをつけた兵士たちが片端から棍棒で殴りつけ、
乱暴に引き離していくのが見るも無残だった。
 中でも女たちの多くは兵士たちの陵辱のあとを露骨に残し、放心した目つきで
破れた衣から乳房を出しっぱなしにしていたり、あるいは引き起されても、一人では
歩けなかったりしていた。
 命があったのはまだましなほうである。
 戦の異常状態の中で男たちの獣性の犠牲となった女たちは、ほとんど
ぼろくずのようになるまで犯された上で殺害され、その惨い遺体はほかの
多くの死体と同様に、はだかのまま街路に打ち捨てられるままになっていた。
「見ろ」
 エラスムスが将校鞭を振り上げて、道端の一点を指した。最初は裂けた小麦袋か
何かかと思われた。が、ダビドがよく見ると、それはまだ若い女で、両手両脚を背中で
くくられた姿で死んでいるのだった。すっ裸のその首には縄が巻きついており、
引き裂かれた陰部には、すでに蝿がたかっていた。
「蝿も女の淫水が好物とみえる。肉芽の上を這い回り、女を可愛がっているな」
 輪姦された苦悶がまだ女の死に顔の上にくっきりと刻まれていた。根は善良な
エラスムスは下手な冗談を言って鼻を鳴らした。
 そんな骸が他にも幾つもあった。略奪と暴行は勝者の権利として兵士たちに
公に認められていたから、これは罪にはならない。
「この街の女たちは宗教上の理由から自害が赦されてはいないのだ。血迷った
兵に捕まれば、死ぬまでああして嬲られる。仕方がないことだ」
 暴虐の嵐が過ぎる頃をみはからって前の砦から馬を進めてきて幸いだった。
ダビドはエラスムスに別のことをきいた。
「エラスムス。作戦会議でわたしが申し入れていた件についてだが」
「さっそくやらせている」
 エラスムスは請け合い、風下へ鞭の先を流した。見れば、細い煙が幾筋も
午後の空に立ち昇っている。
「死体は片端からせっせと焼却している。お前の言うとおりにな。まったくお前は
軍人にこそ向いているというのに、その頭脳と腕は、まじないの世界に踏み入って
いるのだから。医師ダビドの駐在する街には疫病はでない。そんなおかしな
迷信まであるほどだ」
 それでいい。
 ダビドは胸中で頷き、また前を向いた。


 やがて、聖地に構えた総督府の屋根が見えてきた。
 すれ違った奴隷を、ダビドは馬上から止めた。
「まて」
 奴隷は、焼き場に運ぶ死体を肩に担いでいた。
 ダビドは医師の目になって奴隷の荷を見つめた。馬から飛び降りたダビドは
奴隷の担いでいる女の手首をとった。
 そんなことだろうと思った。
 奴隷たちは遺体の中から好みの女を選び、焼く前にこそこそと交代で死姦を行う。
焼き場の監督もそれについてはお目こぼしをしており、女の股を前に物陰で奴隷
たちがくじを引いていても、見て見ぬふりをする。
 そのうちに知恵がついてきた奴隷たちは、まだ生きている女を気絶させて、死体に
見せかけて焼き場に運ぶことをおぼえた。「逃がしてやる」と女を騙した上で、時には
監督も交えてじゅうぶんに楽しみ、それから何食わぬ顔で女を殺して遺体の山に
棄てるのだ。
 ダビドが睨みつけると、奴隷は慌てて女を肩から降ろした。
「し、死んでいるとばかり思ったもので」
「行け」
 ダビドは乗馬鞭を振り上げた。奴隷は走り去った。
「どうした。ダビド」
「ひと目で分かった。この女は気絶しているだけだ」
「若いな。美人か」
 ダビドは道端に落とされた女の肩を掴んで仰向けにさせた。髪をはらい、顔を
顕にさせる。外傷がないかどうか診てやろうとして、しばし、その手が止まった。
「どうなのだ、ダビド」
「美人だ」
 ややあって、ようやくそう応えた。応える声は喉につまった。
「若くて見目のよい女は、まずは総督閣下の前に連れてゆくのだ。我ら将はその
おこぼれをいただくというわけだ。連れてゆけ」
 ふたたび彼らは総督の占拠した大邸宅へと路を進んだ。帝都から持ってきた
薬や治療器具をつめた箱を担いだ従者が、かたかたと荷を鳴らしながら彼らに続く。
 ダビドは先程の女が忘れられなかった。女の白い肌は、男の眼球からそれまで
見てきた戦場の埃や血なま臭さを一瞬で拭ってくれるほどに清く、その容貌は
月光を集めたようにひっそりとして、これまで帝都で見てきたどのような女よりも
美しかった。胸の鼓動がとまる気がするほどの、面差しのやさしい女だった。
 ふとダビドは気がついた。
「エラスムス」
「なんだ」
「手の甲に刺青がある女とそうでない女がいる。何の別だ。女の手の甲に、こう、
小さな印が」
「あれか。あれはな、夫を亡くした女であるという意味だ」
 自害と同様に、この聖都にすまう女たちは、夫を喪っても再婚は
ゆるされないのだという。手の甲の刺青は、死んだ亭主に生きながら
殉じた寡婦であるというそのしるしなのだった。
 ダビドは振り返った。
 先刻の女を荷物のように横たえて乗せた馬は、エラスムスの
従者に引かれ、遠く離れた後ろの方にいた。
 意識のない女の手は手綱をとることもなく、地面に向かって揺れていた。
ダビドが脈をとった女の手には、確かにその刺青があった。


 聖地に到着したその晩、ダビドは一人の奴隷女を寝所に入れた。
そうしないと男色家扱いされるのだ。男色家扱いされたところでどうということも
ないのだが、その夜の女は、新しくこの街の支配者となった総督からおせっかいにも
寄越されてきたので、無碍にも出来なかった。
 三人いて、選んでもよいし、三人とも味見をしてもよいとのことだった。
似たり寄ったりの中からダビドは一番年長とおぼしき黒髪の若い女を選び、あとは返した。
「お赦し下さい、触らないで……」
 奴隷女は壁まで後ずさった。がたがたと震えており、いい加減泣きはらした目を
さらに赤くして、若い女は壁際にしゃがみこんだ。
 女が怯えるのは無理もない。その晩ダビドは医療所が整うまでの仮宿として
焼け残った屋敷のひと棟に泊まっていたのだが、廊下といわず隣りの部屋といわず
女を引き込んだ将校たちのいやらしげな声に満ち満ちており、その騒ぎの逐一は
窓を開けていることもあって、ほとんど丸聞こえになっていたのだ。
 どうやら彼らはかき集めた女たちを裸にさせて酌をさせ、下僕たちの手も借りて
淫芸を強要させているようであった。
「脚をひろげさせろ。四肢を柱にくくりつけて、水たまりが出来るまで下口を
なぶってやれ」
「四つん這いさせて哀れっぽくなかせるのだ。性奴隷にする女だ。帝国式の
調教の味を教えてやれ。新しい淫具の味もな」
「ヒィーッ」
 黒髪の女奴隷はかすかな声を上げて頭を抱えた。どうやらこの様子では
昨晩までどこかの部屋で同じ目に遭わされていたようだった。
「お願いです、もうひどいことをしないで……」
「しないさ」
 ダビドは勝手に寝台に転がった。女には毛布を投げてやった。
 街が落ち着くまでは静かに眠れそうもない。明日からは外に天幕を張ろう。
もともと無理強いするような趣味はない。第一、手間がかかるばかりで後味も悪い。
どうせなら、その道の娼婦を金で買うほうがじっくりと愉しめるし、一過性のその方が
性分にも合っている。
 聖都とはいえ娼館はあるはずだ。近くの都市からも兵隊相手の稼ぎを見込んだ
商人たちがこれから出稼ぎに集まってくるだろう。必要になったら、その時にでも
その筋の女を求めればよい。
「長旅で疲れているのだ。休ませてくれ」
 ダビドは目を閉じた。
 すぐに目を開けて、起き上がり、乏しい灯りを頼りに手探りで隣の部屋へ行くと
梱包を解いたばかりの荷箱を探って、薬包を取ってきた。
 器に水をくみ、それと一緒にダビドは壁際に張り付いて縮こまっている女に
薬包を手渡した。
「呑みなさい。気を鎮め、よく眠れるようになる」
「……」
「わたしは医者なんだ」
 今度こそ、ダビドは寝台に横になって目を閉じた。
 夜半になり、女たちのすすり泣きも絶えてようやく静かになった頃、蒼白い月光が
眠っているダビドの上へと差し掛かった。月の光はゆっくりとダビドの隣りに身を添わせ、
その白い腕を男の身にからませると、まろやかな乳房やほそい腰、蜜をたたえた尻の
かたちの幻となって、男の夢の中へと静かに入ってきた。
 屋敷のどこかで、まだ誰かがお愉しみの最中であるようで、女の上げるあの声が夜の
静寂をぬってダビドの夢の中にも被さってきた。しかし月の夢はそんな声もゆるやかに
退けてしまい、つめたい、実体のない、美しいものとして、ダビドの体の下にあった。
 誰だ?
 黒髪の女奴隷は、壁際で毛布にくるまって寝息を立てている。
 突然、下階から、男が荒っぽい息をついて寝台をぎしぎしと揺らしている気配が
きこえてきた。それは今はじまったものではなく、先ほどからずっと続いていたので
あるが、ダビドの夢の幻の清さがそれを打ち消していたものと思われた。
 耳を澄ましているうちに、ダビドは犯されている女が心配になってきた。案の定
女の喘ぎ声が過度の苦痛を訴えている。
 唇をかみ締めても、それは堪えきれるものでなく、身体の芯を貫かれ、揺さぶられる
たびに、下階からは、う、う、と苦しそうに呻く、女のか細い声がした。
「見た目もいいが、蜜壷の具合も最高にいい。そんなに泣いて、哀しいのか。
苦しいのか。死んだ夫に申し訳ないと思うのか。これからは俺が可愛がってやる。
ここを、こうしてな」
 女は縛られているらしく、拘束具が打ち鳴る音がする。
 男の爛れた声がそれに覆いかぶさった。
「死んだ亭主にもこうされていたのだろうが。もう一度お前を女にしてやるぞ。ふふん、
しおらしい顔をして、ここはひくついて正直に悦んでいるではないか。俺は運がいい、
お前のような女を一度思うさま調教して淫らにしてみたかったのだ。お前を道で拾った
医者には感謝せねばな」
 乱れ上がる断続的なかすれ声は、痛々しいままに、どこまでもはかなかった。
「尻の穴が切れたか。明日医者にみせてやる」
 ダビドは月光に手を伸ばした。そこには、ひんやりとした寝台があるばかりだった。
 月の幻は、あの寂しげな寡婦の顔をしていた。


>次頁へ>目次へ>topへ戻る

Copyright(c) 2009 Asabuki all rights reserved. inserted by FC2 system